条項とは?/ マイワン
[ 15] ソフトバンクが必死な理由は「財務制限条項」にあった
[引用サイト] http://www.sv15.com/mnp/topics/softbank_wbc.htm
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先週になりますが、週刊東洋経済11月25日号がソフトバンクの借金の条件をスクープしています。旧ボーダフォン日本法人の買収資金、1兆4,500億円の証券化には「財務制限条項」という条件があったという記事です。 この財務制限条項を見ると、契約数が減少する最悪の場合には、ソフトバンクモバイルの経営権を失う可能性すらあります。絶対に契約数を減少させてはならない、それがソフトバンクに対する至上命令なのです(板倉雄一郎さんが、私よりずっと簡潔にわかりやすく的確な記事を先に書いていらっしゃいました。ITAKURASTYLE 「経営なのか、博打なのか、社会活動なのか」 はてなのコメントで情報いただきました、ありがとうございます)。 スクープとなった財務制限条項を見る前に、まずソフトバンクがボーダフォンを買収した資金の動きについておさらいをしておきます。 ソフトバンクが旧ボーダフォン日本法人買収の発表をしたのは、2006年3月のこと。本サイトでもソフトバンク1.75兆円買収のワザ:LBO・ノンリコース・リードアレンジャーで詳しく取り上げました。おおまかにその後の経緯をまとめると、 このような動きです。つなぎローンとして借りている間にキャッシュを手当てし、9月に事業証券化を発表して、金融機関も了承した段階です。日本では初と思われる1兆円オーバーのWBS(事業証券化)もスムーズに進んでいるようで、ことファイナンスについては順風満帆といったところです。 事業証券化は、重荷ヨーロッパでの水道・電気などの分野で行われています。買収するには巨大すぎるが、定期的にキャッシュが入る事業がターゲットで、携帯電話はまさにピッタリあてはまる事業です(証券化の金利については、磯崎哲也さんによる証券化でなぜ調達コストが下がるのか?が参考になります)。 旧ボーダフォン日本法人の固定資産だけでは担保が足りないため、将来の現金収入をあてにして証券化します。 ここで問題になるのは経営者の将来の行動です。もし勝手な行動で資産を減らしたり、現金収入が落ち込んでしまえば、貸し手(ローンレンダー)は回収できなくなる可能性があります。 そこで証券化では「財務制限条項」という条件をつけます。「金は貸してやるが、勝手なことはしちゃあかんよ。この約束は守れよ」とローンレンダーが条件を付けるわけです。この条件をクリアできない場合には、経営者の行動に制限をかけたり、最悪の場合は第三者への売却もあり得ます。 今回のソフトバンクモバイルの携帯事業証券化でも、条件が付けられていました。これがソフトバンクに足かせをかけています。 東洋経済11月25日号によると、ソフトバンクモバイルによる携帯電話事業証券化に対する条件「財務制限条項」は、おおまかにわけて5つ。元の資料が入手できなかったので、東洋経済が載せたグラフ(詳しい数字が出ていないもの)をベースに5つの条件を見てみます。数字はグラフから見た概算なので、しごくおおまか(数百億円の誤差あり)なものだとご承知ください。 借金返済のハードルですが、これは驚くほど低いものです。なんと2008年9月までは一円も返す必要はありません。1,000億円の返済でも2010年まで余裕があります。実際には2008年以前も返済するはず。とんでもない赤字続きでもない限り、クリアできそうな条件です。 この目標を1年(4四半期)連続で下回るとダメ、という財務制限条項ですが、2010年ごろまでは苦労なしでクリアできる条件です。 合わせれば5,000億円ほどあるわけで、東洋経済によれば「この規模は旧ボーダフォンの05年度設備投資額の2倍以上で、余裕がある枠が設定されている」とのこと。リース中心にしなければならないという制約はあるものの、設備投資は充分にできるでしょう。 ここまでの4ポイントは、イージーな財務制限条項でした。ところが最後に1つだけ難関があります。それは携帯電話の契約数。四半期ごとの契約目標が決められており、これを4四半期(1年)下回ると、貸し手が経営に口を出せるようになってしまいます。 青い線は財務制限条項のミニマムライン。これを4四半期連続、つまり1年下回ると、財務制限条項が発動して、貸し手が経営に口を出せるようになります。 青い線は緩やかな純増が条件です。1年に40万人程度のプラスが条件ですから、ハードルが低いように思えます。今までのケータイ市場を考えれば、難しい数字ではありません。 ただし番号ポータビリティによってソフトバンクはユーザーが流出しています。またケータイ市場は飽和に近づいているため、今までのような大きな伸びは期待できません。現在は予想外割ことゴールドプランと、スーパーボーナスの頭金¥0のおかげで新規契約数は伸びています。新規契約のおかげで、ソフトバンクは全体としては純増ですが、新規契約が一巡してしまえば純減になってしまう可能性があります。 仮に契約数が減ってしまうと、たちまち赤信号がともります。2008年3月には1570万人程度になっていないとアウトです。四半期の3ヶ月で純減したとしてもすぐには問題になりませんが、次の四半期のハードルが高くなります。グラフの青い線を1年間下回ってしまった場合、貸し手が経営に口を出せるようになり、さらに悪い状態が続けば、経営権の喪失(銀行による管理)や第三者への売却もある、と東洋経済は書いています。 この契約数の財務制限条項は、現在のソフトバンクにはかなり厳しいものだと言えるでしょう。純減したら赤信号ですから、必死になって契約数を増やしていかねばなりません。 借金に付けられた条件のうち、もっともハードルが高いのは契約数だということが見えてきました。それが現在のソフトバンクの営業戦略に影響しています。 1つは予想外割ことゴールドプラン&スーパーボーナスによる「新規契約の獲得」と「ユーザーの解約阻止」です。番号ポータビリティによるある程度の流出は織り込んだ上で、頭金¥0で新規契約を増やして、純増をキープしようとする戦略です。またスーパーボーナスにしてもらえば2年間は解約を防げるわけですから、契約数の減少を阻止できます。 もう一つ、法人契約の増加がキーポイントとなります。ゴールドプランの最大の特徴は、ソフトバンク同士の通話が無料になること。法人が社員に持たせるケータイとしては、理想的な料金プランです。またゴールドプランとは別に法人向けの料金プランも用意されており、まとめて契約することで料金をかなり引き下げているようです。 Yahoo!BBでも伝説(?)となった営業部隊が、法人をしらみつぶしに当たっているというウワサが流れています。法人営業によって、まとまった契約数を取ることによって、財務制限条項をクリアしようと考えているのでしょう。 付け加えると、ソフトバンクモバイルの法人営業を強化すると、ソフトバンクテレコムの強化にもつながります。旧日本テレコムを買収してできたソフトバンクテレコムは、おとくラインの失敗などで苦戦中。赤字を抱えているだけに、ソフトバンクテレコムの建て直しが急務となっています。ケータイの営業に合わせて、固定電話の回線も導入してもらおうと考えているはずです このように財務制限条項では、契約数の純増がもっとも重要なハードルとなっています。2008年までは契約数を純増させることが至上命令。それだけの体力が付いた上で、2008年から本格的な返済(1年に2,000億円前後)を求められます。ソフトバンクは契約数を純増できるのでしょうか。TCAの発表が待たれるところです。 ちなみに証券化したことにより、ソフトバンクモバイルの利益は、貸し手への担保になると考えられます。また今回の買収はノンリコースであり、ソフトバンク本体は一切担保になりません。 そう考えると、ケータイ事業の利益をグループの連結決算に含めるのは問題ではないか?と筆者は感じています。ソフトバンクの株主さんは、その辺の事情をよく考慮したほうがいいでしょう。 トラックバック 1: ソフトバンクが必死な理由は「財務制限条項」にあった (11/30 13:22)先週になりますが、週刊東洋経済11月25日号がソフトバンクの借金の条件をスクープしています。旧ボーダフォン日本法人の買収資金、1兆4,500億円の証券化には「財務制限条項」という条件があったという記事です。この財務制限条項を見ると、契約数が減少する最悪の場合には、ソフトバンクモバイルの経営権を失う可能性すらあります。絶対に契約数を減少させてはならない、それがソフトバンクに対する至上命令なのです 7: 1-kakaku.com/理由 (12/07 05:11) 死刑廃止論者の法学部教授ポール(ショーン・コネリー)は、8年前に白人少女誘拐殺人事件の犯人として逮捕され、死刑判決を受けた黒人青年ボビー(ローレンス・フィッシュバーン)からの無実を訴える手紙を受け取り、早速事件の再調査に乗り出す。やがて真犯人を名乗るブレア(エド・ハリス)という男の存在が浮かび上がるのだが…。 名優ショーン・コネリーが製作総指揮も兼ねて主演したサイコ・スリラー。死刑囚の無実を説くというプロットはありがちではあるが、次々と予測を裏切る展開の数々に、思わず引き込まれてしまう。L・フィッシュバーンとE・ハリスの名演はいつもながらとはいえ、やはりお見事。また、コネリーの娘役に『ロスト・イン・トランスレーション』のスカーレット・ヨハンソンが扮しており、その少女時代の姿を見られるだけでもファンにはお得かも。監督は『バウンティ・キッド』などのアーネ・グリムシャー。(的田也寸志) |
[ 16] 免責条項
[引用サイト] http://www.nri.co.jp/site/notice.html
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[ 17] 世界の現行憲法と平和主義条項
[引用サイト] http://www.komazawa-u.ac.jp/~nishi/Nishi-text/Heiwa_cons1.htm
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2001年11月2日、いわゆるテロ対策特別措置法*1が公布された。この措置法により、自衛隊が現に戦闘行為を行っているアメリカ合衆国その他の外国軍隊に対して、国外で後方支援などをすることができるようになった。衆参両院における審議では、自衛隊の存在そのものに対して違憲性の疑いありとする立場から、反対の声が出たのは不思議ではない。 この立場は、日本国憲法が「世界で唯一の平和主義憲法である」ことを最大の根拠とする。このような見方は、かなり流布しているようだ。本当にこのような見方は、正しいのだろうか。 いまや世界に、190以上の国家が存在する。成典化憲法を有している国家は、180を超える。結論から先にいえば、これら180以上の成典化憲法中、平和主義といえる条項を包含している国の憲法は、148におよぶ。このことは、わが国の安全保障や国際貢献の方策を考える際に、日本国憲法の特異性をもちだすことはできないことを示しているといえよう。 以下で、世界の現行憲法において、いかなる平和主義条項が導入されているのか、類型的に検討することとしたい。 わが国にあって、日本国憲法の平和主義条項がいかに位置づけられてきたか。日本国憲法が成立した当時と、その後の状況について概観しておきたい。 まず、日本国憲法が成立した1946年時およびその直後においては、9条の「世界各国憲法における比類のなさ」が強調された。1946年6月25日、吉田茂・内閣総理大臣が衆議院本会議に政府案を提出したとき、9条に関し、次のような説明をしている。「かかる思い切った条項は、およそ従来の各国憲法中まれに類例を見るものであります。」 日本国憲法施行直後に刊行された解説書も、このような政府の認識をそのまま受けいれている。美濃部達吉教授は、「嘗て他国に類の無い絶対的の戦争抛棄を宣言することとなったのである。」*2と述べ、佐々木惣一教授も、「一国が、その憲法において、戦争の絶対放棄や戦力の放棄やを規定することは、他の国には絶てその例がない。」*3と書き記している。さらに、東京大学憲法研究会の著書では、「徹底して戦争を放棄した点で、本条(注・日本国憲法第9条)は世界史的な特色を有することが明らかになった。」*4と叙述されている。 日本国憲法成立時において、9条を「世界に比類なきもの」とみるのは、当時の事情から、当然であるといえなくもない。なぜならば、当時発行された著書には、比較憲法的な検討がなされているものの*5、 憲法9条の成立背景、なかんずくGHQ(総司令部)および極東委員会内部での討議について、日本国政府自体にまったく知られていない部分があったからである。しかも、この不明の部分が9条の解釈に本質的な影響が与えられるべきであったのである。このことは、日本国憲法成立過程のいびつさを明白に物語っているので、本来、詳説しなければならないが、ここでは概観のみにとどめる。*6 憲法9条の成立過程において、当初、知られていなかった部分は、�.泪奪�ーサー・ノートに対するケーディス大佐の修文作業、��芦田修正の意味、および�J弧云鮃狷各�のいきさつである。このうち、�△砲弔い討蓮△茲�知られているところなので、�,鉢�に関し、言及しておきたい。 憲法9条の淵源が1946年2月3日のマッカーサー・ノート第二原則にあることは、説明するまでもない。同項は、「日本は、紛争解決の手段としての戦争、さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争さえをも、放棄する。」との文言があった。ここにおいて、マッカーサー元帥は「紛争解決の手段としての戦争」(侵略戦争の意味)のみならず、「自己の安全を保持するための手段としての戦争さえをも」(自衛戦争を意味することは明らか)放棄することを求めていたわけである。もし、このマッカーサー・ノート通りの文言が現行憲法に取り入れられていれば、侵略戦争のみならず、自衛戦争をも放棄しているものと解釈しなければならない。 しかしながら、同年2月13日に日本国政府に示された案文では、「自己の安全を保持するための手段としての戦争さえをも」の部分が削除されていたのである。だれがなぜ削除したのか。いまや、総司令部民政局次長で、総司令部において日本国憲法改正草案作成の責任者だったチャールズ・ケーディス大佐が、「非現実的」と思ったから削除したことは、周知の事実となっている*7。ケーディス氏は、不戦条約が締結された1928年時、ハーバート・ロースクールに在籍していた。それゆえ、マッカーサー・ノートの「紛争解決の手段としての戦争」放棄は、1928年の不戦条約の引用であることがすぐに理解できた(不戦条約については後述)。この部分は、侵略戦争の放棄であり、そのことを日本国憲法に明文化することに同意できたからである。しかし、「自己の安全を保持するための手段としての戦争さえをも」は、自衛戦争の放棄を意味することになり、一国の憲法に明記することにためらいがあった。そして、みずからの判断でこの文言を削除したのである。このことについて、マッカーサー元帥からは異が唱えられず、ケーディス氏は、みずからの判断がマッカーサー元帥の同意をえたものと考えたという。 要するに、この段階で日本国憲法9条1項は、1928年の不戦条約の解釈に戻ったのである。日本国政府は、総司令部内部でのいきさつを知る由がなかった。それゆえ、「自己の安全を保持するための手段としての戦争さえをも」が削除されたにもかかわらず、その部分が残っているものとして、解釈してきたのである。 つぎに、いわゆる芦田修正、とりわけ9条2項の冒頭に、「前項の目的を達するため」を導入したことに関し、芦田氏自身が、次のように証言している。 「『前項の目的を達するため』という辞句をそう入することによって原案では無条件に戦力を保有しないとあったものが一定の条件の下に武力をもたないことになります。日本は無条件に武力を捨てるのではないことは明白であります。そうするとこの修正によって原案は本質的に影響されるのであって、したがってこの修正があっても第9条の内容に変化がないという議論は明らかに誤りであります。」*8 この芦田証言がなされたのは1957年12月のことなので、芦田氏が修正当初から、自衛のための武力保持を考えていたか否かについては、異論がある。*9 注目されるべきは、この芦田修正に対する極東委員会の反応である。極東委員会では、芦田氏が述べたように、日本側が自衛のためであれば、武力保持を可能にするように9条を修正したと判断したのである。1946年9月20日の極東委員会第3委員会(日本国憲法および法制改革を検討する委員会)*10で、芦田修正そのものにはクレームをつけることなく、文民条項を憲法に導入することを求める声明を発表した。 そして、翌21日の極東委員会第27回会議で緻密な検討がなされ、極東委員会として、マッカーサー元帥に日本国憲法のなかに文民条項の導入を要求することが決定された。この決定を受けて、マッカーサー元帥が日本国政府に強く働きかけ、貴族院の審議段階で、現行の66条2項(「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。」)が導入されたのである。貴族院では、さすがに侮辱と感じたのか、貴族院議員でもあった宮澤俊義・東京大教授から、こんな発言が飛び出している。「憲法全体が自発的にできているものではない。指令されている事実は、やがて一般に知れることと思う。重大なことを失ったあとでここでがんばったところで、そう得るところはなく、多少とも自主性をもってやったという自己欺瞞にすぎない。」*11 以上の総司令部および極東委員会内部での討議内容、さらに極東委員会から総司令部への圧力の背景などについて、日本国政府は、まったく無知であった。もしこの事実を知っていたならば、憲法9条の解釈も当然に違ったものになっていたであろう。 問題は、このような事実が明らかになってきているにもかかわらず、こんにちでも1946年当時と変わらず、9条を世界の憲法のなかで特殊なものとして位置づけ、特別の解釈がほどこされていることである。 たとえば、樋口陽一教授は、1984年発行の著書で、次のようにいう。「これら(9条の解釈に関する)諸説のなかで、日本国憲法の平和主義原理の画期性を生かすのに最も適合的なものは、1項解釈としてA説(戦争の無限定放棄)であり、2項解釈として、A説と必然的に結びつくX説(戦力の無限定放棄)である。A→X説は、『国際紛争を解決する手段としては』の文言の意味をこれまでの慣行と違ったものとしてうけとるところに、ほとんど唯一の難点があることは、認めなければならない。しかし、侵略戦争だけを放棄するという方式での憲法上および国際法上の努力をすでに多年にわたってつづけてきた人類が、にもかかわらず第二次世界大戦ーとりわけわが国が体験した核戦争ーの惨禍を防ぐことができなかった、という経験をふまえて、日本国憲法が、『国際紛争を解決する手段として』の文言に、あえて従来の意味をこえる意味をもりこんだ、と解することは、許されないことではないだろう。」*12 また1999年に新版・補訂版が発行された芦部信喜教授の著書にも、世界各国における憲法の平和主義条項と比較して、日本国憲法が「比類のない徹底した戦争否定の態度を打ち出している。」*13と記述されている。 このような位置づけは、憲法9条の成立過程に対する認識不足もさりながら、比較憲法的視点の欠如もあずかっているように思われる。 世界の現行憲法における平和主義条項は、以下の17のカテゴリーに分類することができる。*14詳しくは、のちに表で示すところであるが、それぞれの態様について、若干の説明を付加する(かっこ内は、憲法制定年と根拠条文)。 抽象的に、自国が「平和」を大切にし、憲法で平和政策を推進していくことを規定している国家は、数多くみられる。上にあげた諸国のうち、たとえば、インド憲法51条には、国家の努力目標として、「�々餾櫃諒刃造醗汰瓦鮨篆覆垢襪海函↓⊇�国民と正当で、かつ名誉ある関係を維持すること、�9餾欖愀犬僚萢�にあたって、国際法および条約義務を尊重する精神を養うこと、�す餾欖屬諒響茲鮹膾曚砲茲蟆魴茲垢襪茲Δ某箴�すること」がかかげられている。一方、隣国のパキスタン憲法40条では、「国家は、イスラ−ムの統一にもとづくイスラ−ム国家間の友好関係を維持・強化し、アジア、アフリカ、ラテンアメリカ人民の共同の利益を守り、国際の平和と安全を推進し、全国家間の友好を育成し、平和的手段による国際紛争の解決を奨励すべく、努力する。」とうたっている。*15こうして、隣国同士がおたがいに「国際の平和と安全」を志向しているにもかかわらず、カシミールの領有をめぐって、いがみあいが続いている。現実に平和を達成することのきびしさを物語っているようだ。 また、ジブチ憲法の1条では、「平和」を「統一」「平等」とともに、同国のモットーであることを宣明しているし、ウガンダ憲法前文には、「平和」を「統一、平等、民主主義、自由、社会正義および進歩」とともに、同国憲法のよって立つ原理であると定めている。さらに、アルバニア憲法前文は、「諸国民間の正義、平和、調和、および協力」を「人類の最高の価値」と位置づけている。 国際社会の一員として、国際協調、国際協和を明記している憲法は、非常に多い。この範疇には、国連憲章、世界人権宣言などの遵守を含めてある。たとえば、レバノン憲法の前文は、国連憲章と世界人権宣言にコミットしていくことをうたい、バングラデシュ憲法25条では、国連憲章に列記されている原理を尊重し、かつそれらの原理にもとづいて、国際関係において、武力の行使を放棄し、一般的かつ完全な軍縮に努力することを定めている。 また、2000年3月から施行されたフィンランドの新憲法には、「フィンランドは、平和および人権の保護ならびに社会の発展のための国際協力に参加する。」との規定をおいている。同憲法は、第8章に「国際関係」を設け、国際義務の受容、欧州連合(EU)の事項にかかわる国内への履行など国際社会との関係に強く意を用いている。 なお、社会主義国たるラオス憲法12条およびベトナム憲法14条では、対外的に平和・友好政策をとり、すべての諸国と協力関係を推進し、内政に対する不干渉を強調している。 ここに、内政不干渉と上記の国際協和と重なる部分があるが、この範疇には、明確に内政不干渉の語をあげている国家群を包含せしめてある。たとえば、中国憲法は、前文で「主権と領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政不干渉、平等互恵、および平和共存の五原則」の堅持をあげている。 また、ドミニカ共和国憲法3条では、自由かつ独立国家としての主権は不可侵であることをうたったあとに、次のような規定をおいている。「したがって、現行憲法によって組織された共和国のいかなる権限も、ドミニカ共和国の対内もしくは対外事項において直接的もしくは間接的な干渉を構成し、または国土の保全もしくはこの憲法によって承認された機能に対する干渉を構成する行為の遂行を認めることはない。不干渉の原理は、ドミニカ共和国の国際政策の不変の原則である。」 この範疇に入れられている非同盟とは、外交政策として、non-alingmentの語を使用し、またはいかなる軍事機構にも参加しないことを明言している国家群をいう。モザンビ−ク憲法62条は、みずからの国家を「非同盟国家」と称しているし、ナミビア憲法96条、ウガンダ憲法28条、ネパール憲法26条などは、外交関係において、非同盟政策を採択・維持していくことを宣明している。そしてアンゴラ憲法16条は、同国がいかなる国際的な軍事機構にも参加せず、みずからの領土内に外国の軍事基地の設置を認めないことを定めている。 「中立」とは、文字通り、軍事的対峙関係において、いずれの側にも立たないことで、それゆえ、たとえば、外国の駐留軍を認めることは、中立にそぐわない。オーストリア(中立憲法律1条)、カンボジア、マルタ、およびモルドバの憲法には、国内に外国の軍隊の駐留を認めないことを定めている。また、カンボジアおよびマルタでは、同時に非同盟政策を実施していくことをうたっている。カザフスタンでは、さらに戦争の放棄とみずから最初に武力を行使しないことを特記している。 現在、スイスには職業軍人が約1万人おり、兵役につくことなく、代替役務(代替役務の期間は、兵役期間の1.5倍)についているのは、100人から200人だという。なお、スイス民間役務庁のホームページによれば、兵役と代替役務とは、選択の関係にあるのではなく、基本は兵役の義務にある。代替役務が認められるには、自己の良心上、兵役につくことができないことを証明する請願書の提出が求められ、民間役務庁が独立行政委員会の答申を受けて、決定をくだす。その審査は、かなり厳格なようだ。*16 もう一つ、注目されるのは、カンボジアの憲法である。同国では、周知のように、ポルポト派とヘンサムリン議長率いる救国民族統一戦線との内戦が長引き、国全体が荒廃していた。91年10月にいたりようやく和平協定が締結され、国連暫定行政機構(UNTAC)が設置。同機構のもとで93年9月、新憲法が採択された。新憲法は、過去の苦難の道を踏まないように、平和主義条項の導入に強く意がもちいられている。同憲法53条と54条を示しておこう。 「カンボジア王国は、永世中立および非同盟政策を採択する。カンボジア王国は、近隣 諸国その他世界のすべての諸国と平和的共存政策を追求する。 カンボジア王国は、いかなる国をも侵略せず、また他のいかなる国の内政に対しても、 直接、間接を問わず、干渉しない。カンボジア王国はまた、いかなる問題についても、 相互の利益を正当に尊重して、平和的に解決する。 カンボジア王国は、その領土に外国の軍事基地を設置することを認めず、また国際連 合の求める範囲以外に、その軍事基地を外国に設置しない。 カンボジア王国は、装備、武装、弾薬、軍事訓練その他自衛のための支援において外 国の支援を受ける権利、およびその領土内で公共の秩序と安全を維持する権利を保有す る。」(53条)。 こうして、カンボジア憲法は、永世中立、非同盟、平和共存、侵略の否定、内政不干渉、紛争の平和的解決、外国の軍事基地の非設置、核・化学・生物兵器の非製造など、平和主義に関する多くのキ−ワ−ドをちりばめた条項をもつにいたっている。 ��モザンビ−ク共和国は、すべての国家の一般的かつ全面的な軍縮政策を支持する。 �ぅ皀競鵐咫櫂�共和国は、インド洋を非核平和地域に変容させることを擁護する。」 この種の規定方式は、第二次世界大戦後になってみられるものである。*17ノルウェ−の現行憲法は1814年制定のものであるが、1962年に当該規定が追加された。同憲法93条によれば、「国際的な平和と安全を確保し、または国際法、国際秩序および諸国間の協力を促進するために」、国会は、通常はノルウェ−の国家機関に与えられている権限をノルウェ−が構成員たる国際機関にゆだねることに同意することができる。これは、もともと国家に与えられている権限を国際機構にゆだねるのであるから、主権国家としての機能の制約にあたる。それゆえ、国会の同意条件を高くしており、国会の4分の3以上の多数の同意を必要としている。おなじく、デンマークおよびスウェ−デンでは、主権の一部委譲について、6分の5以上(スウェ−デンはさらに法定議員の3分の2以上)、ポ−ランドでは、各院で法定議員数の少なくとも半数の出席のもとで3分の2以上の多数の同意が必要である。*18 世界が主権国家により成り立っているかぎり、国家間に主張の差が出ることは避けられない。かつては、そのような差異を解消するために武力行使に訴えられることもあった。 平和主義を志向する立場からは、話し合い、仲裁など武力をもちいない方法による解決が求められなければならない。国際連合憲章がその1条で、国際連合の目的として、「国際の平和および安全を維持すること」などをかかげ、2条でより具体的に、加盟各国は主権平等の原則にもとづいていること(1項)、加盟国はその義務を誠実に履行しなければならないこと(2項)、国際紛争を平和的手段によって解決すること(3項)、そして武力による威嚇または武力の行使を慎むことを求めている(4項)。 このような国際連合憲章の規定が、各国憲法に影響を与えている。ここに、その例として、カタ−ル憲法とウズベキスタン憲法の該当条項を引いておきたい。 「国家の対外政策は、相互尊重、共同の利益、および内政不干渉にもとづき、特殊的に はすべてのイスラ−ム諸国および諸国民との、また一般的にはすべての平和愛好諸国お よび諸国民との友好を深めることを目的とする。 国家は、自己の未来を決定するための国民の権利を擁護し、全人類の福利のために国 際間の協力を促進し、世界のすべての地域に平和と安全を広め、平和的手段により紛争 を解決するという原則が諸国により守られ、国際法の原則にしたがい、正義と平等にも とづき、他国との関係を確立することを目的とする国際連合憲章の原則を支持する。」(カタ−ル憲法5条)。 「ウズベキスタン共和国は、国際関係において全権を有する。その外交政策は、諸国の 主権の平等、武力または威嚇の不行使、国境の不可侵、紛争の平和的解決、他国の内政 に対する不干渉、および一般に承認されている国際法の諸規範に基礎をおくものとす る。」(ウズベキスタン憲法17条)。 「�々餾欖屬諒刃妥�な共同生活をみだすおそれがあり、かつその意図をもってなされる 行為、とくに侵略戦争の遂行を準備する行為は、処罰される。 �∪鐐菴觜圓里燭瓩良雋錣蓮∀∨�政府の許可を得てのみ、これを製造し、運搬し、お よび取引することができる。」 この条文のうち、1項の規定をうけて、刑法80条(「侵略戦争の準備に関する罪)には、「ドイツ連邦共和国が関与すると思われる侵略戦争(基本法26条1項)を準備し、それによりドイツ連邦共和国に戦争の危険を生じせしめたる者は、終身刑または10年を下らない自由刑に処する。」と定めている。 ��国軍は、国家の安全保障と国土防衛の神聖なる義務を遂行することを使命とし、そ の政治的中立性は遵守される。」 現行憲法は、第9次改正憲法といわれているが、1項の「侵略的戦争の否認」は、1948年の第1共和国憲法(6条)以来、継承されてきている。2項の国軍の政治的中立性の遵守については、現行憲法になってはじめて入れられたものである。過去における軍隊の政治への介入の反省によるものと思われる。 フランス憲法が征服戦争の禁止をうたったのは、1791年憲法においてである。まさに世界各国憲法史上、戦争放棄の理念を明白に示した最初の憲法といえる。*19同憲法第6編「フランス国民と他国民との関係」において、次のような規定を導入した。「フランス国民は、征服の目的をもっていかなる戦争を行なうことも放棄し、かついかなる国民に対しても、決してその武力を行使しない。」ここに、「征服の目的をもってする戦争とは、支配者の権勢欲、領土拡張欲など恣意から企てうる攻撃的、侵略的戦争の放棄である」と考えられ、「他国民に対する武力行使の放棄」は、他国民の人権や他国領土の尊重を前提とするものである。*20この1791年のフランス憲法は、その後同国の1848年憲法前文、そして1946年の第4共和制憲法前文に受け継がれ、現行の1958年の第5共和制憲法は、「1946年憲法前文に対する愛着を厳粛に宣言する」という文言により、平和主義の理念を明示している。 テロ行為は、国際社会の安寧を攪乱する卑劣な行為である。チリ憲法9条は、「テロリズムは、いかなる形態においても、人権にとって本質的に矛盾するものである。」と規定し、テロ犯罪行為を侵した者は、15年間公職、教育職などに就いてはならないとの制約を課している。またブラジル憲法4条は、国際関係の原則として、内政不干渉、紛争の平和的解決などのほかに、テロリズムおよび人種差別主義の排除をあげている。 「国際紛争を解決する手段としての戦争放棄」は、先述したように、1928年の不戦条約に由来する。同条約1条には、締約国は「国際紛争を解決する手段としての戦争」を非とし、また「国家の政策の手段としての戦争」を放棄することが定められた。このうち、「国家の政策の手段としての戦争」放棄は、1931年のスペイン憲法、1935年のフィリピン憲法などに影響を与え、現在では、のちにみるように、1987年のフィリピン憲法にその文言がみられる。そして、前者の「国際紛争を解決する手段としての戦争」放棄は、こんにち、前記5か国の憲法に継承されている。 この「国家の政策の手段としての戦争」や「国際紛争を解決する手段としての戦争」は、1928年当時、どのように解されたのか。これらの戦争放棄を提案したフランスの外務大臣ブリアンとアメリカの国務長官ケロッグによれば、「国家の政策の手段としての戦争」は「利己的、恣意的な戦争」を、「国際紛争を解決する手段としての戦争」は「自衛戦争および制裁戦争を除いた戦争、すなわち侵略戦争」を意味するのだという*21。 このような解釈は、現実の政治において、いわば国際標準として捉えられてきている。たとえば、イタリア憲法11条の規定は、次のようである。「イタリアは、他国民の自由に対する攻撃の手段、および国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄する。イタリアは、他国と同等の条件で、諸国家間の平和と正義を保障する機構に必要な主権の制限に同 意する。イタリアは、この目的のための国際組織を促進し、かつ助成する。」この規定の意味について、イタリア下院第1委員会委員長のローザ・ルッソ・イェルヴォリーノ氏は、2000年10月にイタリア下院を訪問した前記衆議院憲法調査会の代表団に対し、次のように説明している。 「(同条項の意味するところは、)イタリアは武器を保有するが、それは戦争のためではないということである。これまで、イタリアは、コソボ、アルバニア、東ティモ−ル等様々な政治的、社会的問題を抱えている地域に対し、国際の平和及び安全を確保するため、積極的に派兵し、人道的援助を行ってきた。人道的支援に関しては、世界で3番目の実績を有している。つまり、イタリアの軍備及び軍隊は、このような人道的貢献をはかるためのオペレ−ションを展開するための軍隊として位置付けられてられているということだ。こうした政策を積極的に推進する背景には、国際の平和及び安全に対する世界各国の連帯意識を重視するイタリアの思想がある。」*22 こうして、「国際紛争を解決する手段としての戦争」条項をもちつつ、同項は、、自衛のための国防組織をまったく否定しておらず、それどころか、外国に派兵して国際社会の秩序維持に貢献することを当然と考えている。なお、上記のいずれの国家も、憲法に国防・兵役の義務規定をほどこしている(イタリア憲法52条*23、ハンガリー憲法70H条、アゼルバイジャン憲法76条、エクアドル憲法188条)。 このようなことから、「国際紛争を解決する手段としての戦争」に自衛のための戦争や武力の攻撃を含ませるのは、いかに国際的常識から離れたものであるか、一目瞭然であろう。樋口教授の述言「にもかかわらず・・・日本国憲法が、『国際紛争を解決する手段として』の文言に、あえて従来の意味こえる意味をもりこんだ、と解することは、許されないことではないだろう。」は、すでにほぼ150の国家の憲法に平和主義条項が設けられているという現実を考えれば、日本でしか通用しないあまりにもひとりよがりな解釈といわざるをえない*24。 上記13か国の憲法が、外国軍隊の自国領土内を通過することないし外国軍事基地を自国に存置させることを原則的に禁止している。わが国にあっては、日米安全保障条約のもとで、米軍基地が日本に存在している。もちろん、この状態を違憲であるという立場もあるが*25、最高裁判所は「統治行為論」を展開し、違憲の判断を避けている*26。9条のあいまいさから生じているところである。その意味で、外国の軍事基地の非設置規定は、平和主義という観点からみれば、わが国より進んでいるといえよう。 「軍事基地に関するアメリカ合衆国とフィリピン共和国とのあいだで締結された協定が、1991年に期限を満了したのち、外国の軍事基地、軍隊または軍事施設は、認められないものとする。ただし上院によって正当な手続きにより承認された条約、および国会が要求したときに、その目的のために行われる国民投票で国民の投票の過半数により批准され、かつ他の締約国により条約として承認されたときは、この限りでない。」 この規定にもとづき、アメリカの軍事基地の存廃をめぐって上院で審議された結果、アメリカとのあいだで条約の継続を望むほうの意見が否決され、アメリカは、クラーク空軍基地とスービック海軍基地を撤収した。 「いかなる外国軍隊も、ベルギー国の役務につくことは認められず、また領土を占領または通過してはならない。」 これら11か国の憲法には、核(国によっては生物兵器、化学兵器を含む)など大量破壊兵器の禁止・排除規定が入れられている。わが国政府は、「自衛のための必要最小限度を超えない範囲である限り、核兵器であると通常兵器であるとを問わず、これを保有することは、憲法第9条第2項の禁ずるところではないとの解釈をとってきている。」*27という立場をとっている。このことは、政策上は非核3原則などにより、現在は核を保有していないが、解釈上、将来において自衛のため必要最小限度を超えなければ、核兵器の保有を可能にすることを示唆している。 各国憲法の態様をみると、カンボジア、パラオ、パラグアイ、コロンビアの諸国憲法では、核兵器のほかに生物兵器、化学兵器の製造、所有、使用をも禁止している。またニカラグアおよびリトアニアでは、大量破壊兵器の禁止を定めている。さらにベネズエラ・ボリビアでは核軍縮を、モザンビークではインド洋の非核化をうたっている。 特記しておきたいのは、コロンビア憲法とパラグアイ憲法である。というのは、両国憲法は、核、生物、化学兵器の禁止を環境条項の一環として位置づけていることである。たとえばコロンビア憲法は、第2部「権利、保障および義務について」の第3章に「集団的権利および環境について」(78条ー82条)を配している。そして、79条1項では、何人も健康な環境を享受する権利をもつことを定め、同条2項で環境の多様性を保護し、生態系上、重要な地域を保守し、これらの目的を達成するための教育強化を国家の責務としている。また80条では、国家は、持続可能な発展を保障するために天然資源の処理と仕様の計画づくりをすること、環境悪化の要因に注意を払わなければならないことなどを規定している。 「化学兵器、生物兵器または核兵器の製造、持ち込み、所有および使用は、核および有毒廃棄物の国内への持ち込みと同様に、禁止される。」 このように、核兵器の製造等を環境問題として捉えているのは、1972年の「人間環境宣言」(ストックホルム宣言)と無関係ではないと思われる。ちなみに、同宣言26原則は、次のように記している。 「人とその環境は、核兵器その他すべての大量破壊の手段の影響から免れなければならない。各国は、関連する国際的機関において、このような兵器の除去と完全な廃棄について、すみやかに合意に達するよう努めなければならない。」 「恒常的組織としての軍隊は、禁止する。警戒および公共の秩序維持のためには、必要 な警察力を設置する。 大陸協定を通じて、または国防のためにのみ、軍隊を設けることができる。いずれの場合も、軍隊は、常に文権に従属しなければならない。軍隊は、討議してはならず、また個人的または共同して政見または宣言を発表してはならない。」(コスタリカ憲法12条)。 こうして、両国においては、原則的に軍隊非設置国家であることを宣明しているが、どんな場合でも、非武装であることをうたっているわけではない。 アメリカ憲法は、1791年の改正3条に次のような規定を有する。「軍人は、平時にあっては、所有者の同意がなければ、いかなる家屋にも宿営してはならない。戦時においても、法律で規定する方法によるのでなければ、同様とする。」 この規定の淵源は、古くイギリスにさかのぼる。すなわち同国にあって、すでに1130年のヘンリ−1世のロンドン憲章には、「市の城壁内に、家人もしくは他人によって強制的に軍隊に宿営を割り当てない」との規定があったという*28。その後、1679年の反駐屯法、および1689年の権利章典に、同趣旨の規定がなされ、軍人の民間宅での宿泊強制の禁止は、コモンローの原則とされた。しかしながら、イギリス本国におけるこのようなコモンロ−ないし立憲主義の原則は、植民地たるアメリカには適用されなかった*29。 アメリカ人は、独立前の時点でイギリス軍に対して極度の嫌悪感をいだいていた。そこで、イギリスにおけるコモンロ−の原則をアメリカ国内で実定化するべく、たとえば1774年10月17日の第1回大陸会議の宣言および決議のなかに、「平時において、これらの植民地(注・当時のアメリカをさす)に常備軍を駐屯せしめることは、その軍隊を駐屯せしめんとする植民地の議会の同意なくしては、違法である。」との文言を盛り込んだ。また、1776年の独立宣言には、イギリス国王の罪状をならべたなかで、「かれ(注・イギリス国王)は、平時において、われらの議会の同意なくして、常備軍をわれらの間にとどめ、またかれは、軍隊をして文権から独立せしめ、かつ優位ならしめた。」と記述されている。こうして軍権に対する文権優位の規定方式が、バージニア権利章典(1776年)、ペンシルバニア人権宣言(1776年)に引き継がれ、連邦憲法に編入されるにいたったのである*30。 この改正3条を憲法全体のなかで、いかに位置づけるかということが論点になるが、総合的に、建国の父祖たちの軍部への不信、文権の軍に対する優越という文脈のなかで把握することが妥当であろう*31。なお、アメリカ憲法改正3条と同じ趣旨の規定がメキシコの現行憲法16条にみられる。 文権の軍に対する優越、すなわちシビリアンコントロ−ルの原則を短刀直入に規定しているのが、パプアニュ−ギニア憲法(189条)とザンビア憲法(100条)などである。ちなみに、ザンビア憲法では、ザンビア国防軍に対して、非党派的であること、愛国的であることなどを求め、かつ文権に従属すべきであることを定めている。 他の憲法をみると、表現の自由との関係で、戦争の挑発行為の禁止(ル−マニア憲法30条、ベネズエラ・ボリバル憲法57条、エチオピア29条)、暴力および戦争に対する煽動は憲法に反する(スロベニア憲法63条)、戦争を宣伝する政党の禁止(トルクメニスタン憲法28条)などがある。 4.おわりに 2001年9月11日、アメリカで起きた同時多発テロは、世界を震撼させた。その実行グル−プがイスラム教過激集団であることが分かり、アメリカはただちに自衛権を発動し、オサマ・ビンラディン率いるアルカイーダとそれを擁護していたタリバンの掃討に動いた。NATO(北大西洋条約機構)は、翌日、集団的自衛権の行使を宣明し、米軍支持のための軍隊を派遣することを決定した。 2001年12月には、北朝鮮からのものとみられる工作船がわが国の排他的経済水域を侵犯、停戦を求めたわが国の巡視船に向けて発砲、自沈するという事件が発生した。巡視船は、工作船を取り囲むことはできたが、捕捉することができなかった。北朝鮮の工作船は、1999年3月にもわが国の領海を侵犯した。このときは、海上警備行動(自衛隊法82条)が発動されたにもかかわらず、停戦すらさせることができなかった。 このようなことから、領域侵犯措置の強化や有事法制の整備が検討されている。かかる措置を検討すること自体、憲法違反であるという声もある。たとえば、佐藤功教授は、「有事立法」や「奇襲対処」の研究そのものが、憲法の枠外におよぶものであって、その合憲性に疑問を投げかける。*33 また、小林直樹教授は、世界各国においては、国家緊急事態のための措置が講じられることは「常識」であるが、わが国の場合、その憲法の徹底した平和主義から、「世界の常識」を破っており、そのような立場に立って、新しい対処方法を立案しなければならないという。具体的に、わが国が“最悪の事態”として、外国軍隊による侵略と支配に遭遇した場合は、どうすべきか。小林教授はいう。「その場合でも国民の被害を最小限にするためには、軍事力による戦争はしないという建前を貫くことになるが、それは全く無抵抗な服従を意味するものではない。無法な侵略や支配に対しては、国民はむろん正当な抵抗権を有する。ただこの抵抗は原則的に、武器をもってしない批判・抗議・説得等の持続的な国民運動によるべきである。」*34 このような「武器をもってしない批判・抗議・説得等の持続的な国民運動」によって、主権を回復できるだろうか。この国民運動に参加している国民は、国際法上、軍人とはみなされないので、なんの保護法益も与えられない。とすれば、「国民の被害を最小限にする」どころか、国民に非常に大きな犠牲を強いることになる。はたして、憲法はこれほどの犠牲を国民に要求しているだろうか。 佐藤功教授にも、小林直樹教授にも(そして比較的多くの憲法学者にも)共通にみられるのは、日本国憲法の平和主義に対する過大評価である。日本国憲法のみが世界で唯一の平和主義憲法であるかのような錯覚に陥っているのかもしれない。 うえでみてきたように、平和主義と国防とはなんら矛盾するものではない。むしろ、平和を守らなければならないからこそ、国防を重視しているといえる。多くの国家では、憲法で平和主義を高くかかげながら、国防・兵役の義務をうたい、また非常事態のための諸規定を具備している。*35これが世界の「常識」である。日本国憲法は、理論的にこの「常識」を逸脱するものではない。 世界各国憲法の平和主義条項の実際を比較検討しながら、わが国の平和と安全保障のありようを考えていかなければならない。 *1 正式の名称は、次のとおり。「平成13年9月11日のアメリカ合衆国において発生 したテロリストによる攻撃等に対応して行われる国際連合憲章等の目的達成のための諸 外国の活動に対して我が国が実施する措置及び関連する国際連合決議等に基づく人道的 措置に関する特別措置法」。 *18 スウェ−デンでは、人権の保護に関するかぎり、国会で出席し、かつ投票した議員 の4分の3以上の多数により、国際機関に委任することができることが特記されている。 *23 イタリアでは、2000年10月に徴兵制から段階的に志願制へ移行させる法律が 成立、平時における徴兵制は廃止されることになっている。ただし、有事における徴兵 制に道を開いておくために、52条の兵役の義務規定は、そのままとされている。 *24 その意味で、吉田善明教授が、日本国憲法をコスタリカと同様に、「侵略戦争はもと より一切の戦争の放棄を明記している憲法」のなかに分類しているのは、きわめて独善 的である(吉田善明「おわりに−各国憲法の現代的傾向」(樋口陽一・吉田善明編『解 説 世界憲法集 第4版』三省堂、2001年)389頁)。9条1項は、不戦条約と の文脈のなかで解釈すべきであるし、前述のごとく、9条の成立経緯を検証すれば、9 条全体が「一切の戦争の放棄を明記している」と断定できない。さらに公定解釈という べき、政府解釈も最高裁判所の判例も、「一切の戦争の放棄を明記している」とは判断 していないことも合わせ考えるべきである。なお、コスタリカ憲法を「一切の戦争の放 棄を明記している憲法」として記述されている部分も、間違っている。この点について は、後述する。 |
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