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語っとは?/ プロミス

[ 483] 日本語って変かも (内田樹の研究室)
[引用サイト]  http://blog.tatsuru.com/2008/04/23_1545.php

日本の地政学的辺境性あるいは文明論的辺境性という補助線を引くことによって、日本の「ありよう」を再解釈しようという野心的な企てである。
原日本語(大野晋先生によれば、もとはタミル語だそうであるが)に漢字が入り込み、さらに近代になってヨーロッパの言語が入り込んできた。
朝鮮半島もインドシナ半島も日本列島も、それぞれのオリジナルな言語に漢字をまぜて書く言語を作りだした。
けれども、韓国は漢字を棄ててハングル表記に一元化しつつある。ベトナムも漢字やベトナム文字を棄てて、アルファベット表記にシフトした。東南アジアの他の国々も漢字とオリジナルな文字を棄てて、アルファベット表記へ移行するのが大勢である。
非識字者の存在がプロットの鍵になるような物語(ルース・レンデルの『ロウフィールド館の惨劇』やロバート・B・パーカーの『プレイメイツ』など)に類するものを私は日本の小説のうちに知らない。
「速読できない」というのは単語を拾って文章を読み上げることはできるのだが、読み終えたあとに「今読んだところに何が書いてあったのか」と質問されても答えられないということである。
一方、日本の初等教育については、その欠点をなじる人はいくらもいるが、にもかかわらず日本人には非識字者がほとんどいない「功績」については、言及する人が少ない。
漢字は表意文字であるので、図像として認識される。ひらがなカタカナは表音文字であるので、音声として認識される。
だから、アルファベット言語圏では、脳の器質障害の結果の失読症では患者は端的に文字が読めなくなるが、日本人の失読症患者の場合、障害を生じた箇所によって、「漢字は読めないが、かなは読める」「かなは読めないが、漢字は読める」という二つの病態に分岐するのである。
文字を読むときに単一の部位を使うのと、二つの部位を使って並列処理するのでは、作業能率が違う(たぶん)。
ある種の少女マンガでは「ふきだし」の中の漢字にルビが振られていないことがある(岡崎京子とか岡野玲子とか)。
画像記号の処理を、「絵」についてと、「ふきだし」の中の「漢字」について、レベルを替えて二度行わないといけないからである。
このわずかな作業量の増加ゆえに、読者は一コマを通常のマンガの場合よりも長時間熟視することを求められる。
余白や描線を味わったり、台詞の「裏の意味」を読むことができるのは、このようにして確保された「わずかなタイムラグ」のおかげなのである。
少女マンガを読むのに少年マンガを読むより「時間がかかる」ことが多く、またしばしば「パーソナルな読後感」(他の読者はおそらく読み落とした記号を私は読んだ・・・という感覚)をもたらすのは、そのせいである。
そういうわけで、日本以外の国においていわゆる「マンガ」が発祥し、発達するということはなかったのである。
興味深いのは、これら非日本人の「マンガ・リーダー」たちがほぼ全員「アニメ」から入ったということ(そしてしばしばアニメファンにとどまっていること)である。
アニメの場合には、音声は声優の声で伝達されるので、「表音文字を音声として認識する」という作業は必要がない。
それはまず漢字とひらかなからなる文字列に登場した「異物」として、「これは外来語ですよ(だから、あなたには意味よくわかんないかもしれないです)」という図像上のタグをつけられる。
だから、「新聞を読んでいて、カタカナが出てくると、そこだけ飛ばす」というリテラシー運用が可能になる。
一方、カタカナ・リテラシーのある人は、カタカナを見た瞬間に、これを「ひらがな」とは「別種の」表音記号として読むモードに切り替える。
そして、それを読むときに、「ひらがなを読むときには決してしない脳内活動」(音声表記から原綴を類推する)を行うのである。
さまざまな出自の語がまじりあっている文章を読みなれているせいで、日本人には他国の国語話者がおそらくほとんどなさらない種類の「造語」を行うことができる。
この旧制高校的造語はその後、「学生運動用語」として60年代まで作られ続けたが、この時期のものは「日本語プラス外来語」のものが多い。
50−60年代の造語が学生運動を主たる培養基としたのは、この運動そのものが「学生寮」を基盤にしていたことに関係があるのかもしれない。
旧制高校生は当時の日本社会におけるエリートであり、彼らがその知的卓越性の記号として「二種類の外来語を組み合わせて隠語を作る」能力を誇示しようとした、というのはありそうなことである。
そして、またそのような造語能力が実は日本人に固有のものであることを、それゆえ、このような隠語を作り出すことを通じて「日本語の例外的な可塑性」を示すことができることを、高校生たちも無意識のうちに感知していたのではないか。
というような話から、日本語クレオール説というトンデモ話に話頭は転じるのであるが、これはもうあまりに学問的に無根拠なダボラなので、ブログとはいえ採録することがかなわぬのである。
こう拝読すれば、無数の社会階層から常に「低脳・低俗」と見られ(実際そんなヤツもいる。おれか!)、扱われる貧乏なタクドラの生きる道(@パフィ♪)も、けっこういいかもと思えてきたりします。
今日の文章は気になっていたことを書かれていましたので、その気になっているところを書いてみます。昨日友人に漫画に付いて送ったところです。
日本から発信した漫画が世界各国で受け入れられGNPを押し上げるほどの影響力があると聞きます。隣国中国では数年前までは日本に経済と勉学のため留学したのが、現在では漫画やアニメに親近感をj感じるので留学しにくるそうです。米国の漫画文化発生あるところでは一部のもの好き程度のようですが。なぜ この国が抜きん出て漫画の大量発生にいたったかは、養老先生の言われる漢字がそもそも漫画の形式を持っていたということに 理由がありそうです、漢字にルビをつける行為が漫画の絵とせりふの吹き出しと同じ構図だということです。長年漢字の使用で漫画的図像が自然に現れたということです。 だが もうひとつ考えることができます。
日本の美術史を扱った辻惟雄の「奇想の系譜」という美術書は 題名に現れているように日本美術は奇想で成り立っているという。それは 中国の図像が自然を見た通りに描く方法をとるのに 同時代の日本の草花を描いたものは そばの小石も後ろの光景も描かない デフォルメされた花や草が美しいと思える奇想の図像の 差異となって現れています。どうして 日本人は見たとおりに美意識を感じなかったのだろうか。画布の中は別世界として 一度脳内を循環させて意識的に意識したものを描こうと考える癖があるようだ。
それは 見えるものが全てではなくて 一元化することに意識を集中しているように思われます。たとえば 雲の形や波の形を図案化することには秀でたものを感じますが 雲や波の全体を表そうとは思っていないと思われます。商品はたぶん一元化することで価値が現れるのでしょうが そういう行為に思えてしまいます。「あんたのキャラと違うデー」と一元化された他とは違った個性が売れるのでしょう。日本美術はその差異で成り立ってきたように思われます。
漫画には全体としての人物像は必要ないとおもいます。それぞれの シーンにもっとも近い表情が表されれば良いのです。それが 日本人が描こうとする表層ではないでしょうか?琳派にも狩野派にもリアリティーに優れたものはあるのですが マヌエリスチックになって図案化することは 漫画化することになってしまいます。
また 西洋ではゴシック時代までは キリストはイコン画として漫画化されていましたがルネッサンスにはリアリティーある聖人に変化してきました。イコン画の成り立ちは詳しくないが 聖なるイエスの聖なる様を一元化したのではと思われます。
16世紀にカラッバジョが道行く人物をキリストに仕立て描いたのはイコンの漫画に飽き足らなくなったのではと思えます。カラバッジョは明暗を自然光でなく 画面の効果を狙って暗いバックを発明しそれがあの時代のスペインからオランダまで瞬時といっていい時間で広がったが、人物には緊張を持たせ 何かに集中している様を信じられないほどリアルに描いています。その迫真が何時の時代にも迫ってくるのです。それは まぎれもなく一元化からは得られない効果です、
仏様に仏様としてのイメージに恐れ入っても リアリティーとしての恐れも威厳も慈悲も感じることが出来ないのは 正真な仏教徒でないからでしょうか?
そのなか 天平時代の仏師が鑑真和上や奈良の東大寺隣にある四天王を 漫画化から影響されずに製作したものがあります。鑑真は後になって芭蕉が見たとき 「若葉もて 御眼のしずくぬぐわばや」と歌ったのです。唐から何回も渡航に失敗してついに失明してまで日本に仏教の戒律を教えようと発願した鑑真像は悲しみに打ちひしがれているわけではありません。それでも 芭蕉はその涙若葉で拭いたいと見たのです。鑑真像はなんとも形容しようがないのです。芭蕉のように 涙とも慈悲とも言葉ではいえません。ただ 鑑真が存在するだけなのです。 世界中のどの彫刻にも負けない強い存在感が僕たちを打ちひしぐのです。唖然とさせるのです。 芸術の最高の状態ではないでしょうか。脳が意識化して言葉に還元できない説得力は言葉の芸術以外に携わっているものの芸術に賭ける思いです。
音楽にもリズムもメロディーも超越して魂とか作曲家や演奏者の思いだけが漂って聞こえてくるときがありますが、そのとき 眼前にとうに死んでしまった作者が現れているのです。
それから年月が経って鎌倉時代、運慶が現れます。その間鑑真がありながらどうしてその流れが消えてしまったのでしょう。運慶までまたなければならないのです。 漫画的な仏像だけが大量にだから 民衆的に作られ続けるのです。
1212年鎌倉時代イタリアに先駆けて日本にカラバッジョが現れたのです。この2像の存在はあの聖カラバッジョと並べてみても劣ることはありません。強いて言えば無著には慈悲のまなざしを感じ、世親には宇宙の恐ろしさに観念しようとする気配を感じますが そのリアリティーには一元化の兆しはありません。
その後も彼らの意思を次ぐものはあらわれません。時々リアリティーのある肖像もありますが、鑑真や運慶の作品とはならべようもありません、今でも仏師として職業が成り立ち仏様を彫り続けていますが 先月外国に行かないよいうに日本人が落札した運慶の坐像は仏像の様式ですが凛として奥深く魅力的な仏像でした(だから 仏像という様式の中でもぐっと来る物は、他にもたくさんあります)
漫画には画像だけでなく物語りという大切な要素もあるのですが 我々は 画像に一元化を求める癖があり そのため 商品化が得意だとか 他人に抱く思い込みが単純だったり
脳化が障害なくすすんだり 有り余る自然に雑草という概念を植えつけて自然を制御することに罪を感じなかったり、思いのほか一元化には功罪併せ持って影響が強いように思われます。
室町時代平織りの織物に綾織りという技法が現れ 織り目の形態の違いに綺麗という字を発明しました。派手でうつくしいこと、嫌悪感を誘う濁りや汚れをとどめないさま、と広辞苑にでています。それまでは うつくしい 美しい 愛しいと肉親への愛から ちいさなものへの愛 可愛らしい 慈愛(うつくしび)と使っていたものが 可愛らしくない美しいものを綺麗と言ったととれます。それから 大声で 「綺麗にしなさい!」と変化するのです。其の語彙には悪意が含まれているように感じます。
古語辞典によると「うつくしい」はいつくしみという言葉からうつくしいに変化したようですが もともとは 肉親への愛 わが子への愛がうつくしいの本来的意味合いだと思われます。わが子を育てるとはきれいごとですむわけが在りません。
綺麗とうつくしいはそういう違いがあって使いわけられていますが 実は 綺麗しか使われていないのではと思い至るようになりました。
なぜなら 綺麗は一日に数回使われますが うつくしいは一年に数回使うでしょうか?読書癖でもないかぎりうつくしいとは言わなくなっているのです。
思うに 漫画化一元化から うつくしいは遠いのです。うつくしいと感激したとき時として汚れや濁りも包摂する場合があるからです。現に子育ては大便も小便も子供が出てくる上下に通じていて だから 子を降ろすとき大中小の間の中絶というのですかね?とは冗談ですが。そういうものも含めてうつくしと言ったのです。
しかし 現在 匂いも汗もほこりも汚れも 人間の特質の一部を嫌悪する時代となってしまいました。それで 愛だとか 尊重だとか敬愛だとかの感情が変化なく続くわけがないと思われます。他人に自分の望むところのみ求めるのは ひとを全体として見る癖がないことを意味します。一元化のもっとも危惧するところは 人格形成にも関わる ひととはどういうものか を問うことのないところにあると思われます。ひとを漫画として愛するということです。複雑怪奇な人の性格に仮面をかぶる状態です。(
綺麗な建築が最高の状態で今に至って 綺麗なものとは大いなる規制を受けて成り立ち その故 その空間は住まい手にきれいにしろ!と規制をかけているのです。
ビニールクロスと塩化ビニールの印刷した扉とその木目の枠、床は塩化ビニールか 木とも思えないフローリングでプラスチックの冷蔵庫。ライト。パソコン。机とくれば すべてが おめえ きちんとしろよ!と毒づいていることを感じないでしょうか?
時には 古い農家や明治時代の洋館に入って自分の気持ちがリラックスしていることに気がついてもらいたいものです。(当然のように昼寝がしたくなります)
自然とは我々に規制をかけない環境です。それは 全体だからでないでしょうか。上記の家の素材は商品化された一元的意味しかもっていないのです。たとえば 室内に左官材や木や紙や畳で構成されていれば それぞれは 自然材を手入れして作ったものと 自然材を創造もできないほど加工したものでは 人の感受する質感の差異は歴然です。我々は機能に感謝してもすぐになれてしまい 質感によってのみ感動すると知るべきです。
山登りをして早朝雲の切れ目から光が漏れ始め黄金色の太陽が覗くと 人は手を合わせて涙するといいます。自然との邂逅にもっともエクスタシーを感じるとイギリスの科学者の研究結果があります、ちなみに2番目は愛だそうです、エクスタシーを導くトリッガーの研究ですが 次は法悦 運動 回想 知るとき 創造 とありますが 当然美しいものを見たときも上位に入っています。だが かなしいかな 早朝太陽を拝んだ人々はうつくしいとは発せず きれいねーと言うそうです。
うつくしいと言うとき対象と自分が一体感があるとおもいますが 綺麗というとき一種突き放し一体になることを避けているように思います。たぶん 涙する人は何事も発っすることが出来ず手を合わせるだけなのでしょうが。自然との邂逅に綺麗と使わざる得ないことに何故か危機感を感じてしまいます。
ドイツの思想家フランクリンは充足した状態は心臓の周りの環状動脈が勢いがよいときと書きます。それは 自然の赤や紫の花々や 白い雲や 小川のせせらぎなどを感じたときの状態だといいます。明日遠足だからうきうきしていても 動脈に変化なく充足の状態でないと、フランクリンはナチの収容所の中でそれらを見て感じる人に生き残る可能性が高かったといいます・。充足感は満ち足りた状態のことです。
我々は言葉の発達によりサバン症的特質した記憶力だとかをなくしたといいますが、石器時代という長期の経験記憶が未だ優勢で大脳皮質のいうことなんか聞くものかという側面があるように思われます。一元化を編み出した日本人が良くって一元化にしたのだろうからそのまま一元化に賛成していれば いいのにとも考えられますが(きっと先鋭の科学者は大脳皮質サイボーグを作りたいでしょう)
しかし 仏教ではひとは大脳皮質に頼らず大脳辺縁系にまかせると考えているようです。仏教が石器気質なゆえんです。何も無い 「空」は般若信教にたびたび出てきますが なぜか 狩猟採集の時代のことではないかと思えてしまうのです。
「わたしの幸福は野蛮に由来し 私の不幸は文明に由来する」ということは 山登りしたり、水泳したり 格闘技したり 紅葉をめでたり 温泉にはいったり 木の家にこだわったり 釣りをしたり 狩猟をしたり これらはみな 石器時代の経験記憶に違いないと思います。野蛮を味合うことは 自然への愛着なのだと思いますが、一種居心地のいいものと感じても 人が綺麗に作ったものでないと受け入れられなくなっているのは コンピューターが大脳皮質の代わりに活躍している現代が経験記憶を無意識の奥の奥にしまったとしても そのほうがかえって 現代人の行動にトラウマとして影響するだろうと思います。(田舎など嫌いなお母さんは子供に花や岬や自然の名前を付けたがる道理です)
東京芸術大学の保険の先生であった三木茂夫先生は 東大での講義で何十億年もの生命の発生の時間を胎内にいる時間に味わうと語り その宇宙的な語り口に聴衆は涙する人もいたと伝えられていますが、かの先生 人の心は息にあると言います。
息苦しい 息切れ 息詰まる 息抜き 自分の心と書いて息と読むのです。緊張したとき人は息をしていない。それを息詰まりといいます。そのとき深呼吸するとこころが晴れる 息が抜けたのです。息が合うとはこころが通じるともいえます。
われわれ 日本人はこころはどこにあるのかと問うと 脳の中にあると言うか胸を指してここにあるいいますが、息遣いがこころの状態だったのです。そのこころが息つくことなく詰まり続けているのが今の現状ではないでしょうか。
団塊の世代は少年時代漫画によって日々楽しみました。その時代から漫画は恥ずかしがらなくてはならないものは小数です。漫画の物語に説得力も、斬新さも、時代の鏡としての芸術性も他の表現に劣ることはないと思われます。映画とは親近感のある表現方法ですが、別ものと考えるべきでしょう。
だが、漫画特有になる一元化の作用は、仕様がないねー、や、怒るほどのことはないだろー、とか、寛容な精神を阻害するのではないか、と危惧するのです、その切れやすい歯止めのない現代の時代の息苦しさを表現方法として助長しているのではないか、その、刃物のような漫画が世界に流れていいのだろうかとも 思っています。
テレビは個人消費時代を創作しました、今 テレビは視聴者を子供に変化させようともくろんでいるように見受けられます。道端に背中を付けて両手、両足をばたばたさせて 買ってクレー!!と叫ぶ子供を作るために、キャラクター(キャラクター人形は赤ん坊を引き付けるために作ったもので漫画の一様です)や、子供に話しかけることば使いや、音や。男おんなや女おとこの一様なボキャブラリーやで、大宅壮一が一億総白痴化と言った子供化が終了しようとしているのです。
と、いろいろ考えているのですが、どこかで論理がねじれているやもしれず、意味不明かもしれないのですが、
今日の文章は気になっていたことを書かれていましたので、その気になっているところを書いてみます。昨日友人に漫画に付いて送ったところです。
日本から発信した漫画が世界各国で受け入れられGNPを押し上げるほどの影響力があると聞きます。隣国中国では数年前までは日本に経済と勉学のため留学したのが、現在では漫画やアニメに親近感をj感じるので留学しにくるそうです。米国の漫画文化発生あるところでは一部のもの好き程度のようですが。なぜ この国が抜きん出て漫画の大量発生にいたったかは、養老先生の言われる漢字がそもそも漫画の形式を持っていたということに 理由がありそうです、漢字にルビをつける行為が漫画の絵とせりふの吹き出しと同じ構図だということです。長年漢字の使用で漫画的図像が自然に現れたということです。 だが もうひとつ考えることができます。
日本の美術史を扱った辻惟雄の「奇想の系譜」という美術書は 題名に現れているように日本美術は奇想で成り立っているという。それは 中国の図像が自然を見た通りに描く方法をとるのに 同時代の日本の草花を描いたものは そばの小石も後ろの光景も描かない デフォルメされた花や草が美しいと思える奇想の図像の 差異となって現れています。どうして 日本人は見たとおりに美意識を感じなかったのだろうか。画布の中は別世界として 一度脳内を循環させて意識的に意識したものを描こうと考える癖があるようだ。
それは 見えるものが全てではなくて 一元化することに意識を集中しているように思われます。たとえば 雲の形や波の形を図案化することには秀でたものを感じますが 雲や波の全体を表そうとは思っていないと思われます。商品はたぶん一元化することで価値が現れるのでしょうが そういう行為に思えてしまいます。「あんたのキャラと違うデー」と一元化された他とは違った個性が売れるのでしょう。日本美術はその差異で成り立ってきたように思われます。
漫画には全体としての人物像は必要ないとおもいます。それぞれの シーンにもっとも近い表情が表されれば良いのです。それが 日本人が描こうとする表層ではないでしょうか?琳派にも狩野派にもリアリティーに優れたものはあるのですが マヌエリスチックになって図案化することは 漫画化することになってしまいます。
また 西洋ではゴシック時代までは キリストはイコン画として漫画化されていましたがルネッサンスにはリアリティーある聖人に変化してきました。イコン画の成り立ちは詳しくないが 聖なるイエスの聖なる様を一元化したのではと思われます。
16世紀にカラッバジョが道行く人物をキリストに仕立て描いたのはイコンの漫画に飽き足らなくなったのではと思えます。カラバッジョは明暗を自然光でなく 画面の効果を狙って暗いバックを発明しそれがあの時代のスペインからオランダまで瞬時といっていい時間で広がったが、人物には緊張を持たせ 何かに集中している様を信じられないほどリアルに描いています。その迫真が何時の時代にも迫ってくるのです。それは まぎれもなく一元化からは得られない効果です、
仏様に仏様としてのイメージに恐れ入っても リアリティーとしての恐れも威厳も慈悲も感じることが出来ないのは 正真な仏教徒でないからでしょうか?
そのなか 天平時代の仏師が鑑真和上や奈良の東大寺隣にある四天王を 漫画化から影響されずに製作したものがあります。鑑真は後になって芭蕉が見たとき 「若葉もて 御眼のしずくぬぐわばや」と歌ったのです。唐から何回も渡航に失敗してついに失明してまで日本に仏教の戒律を教えようと発願した鑑真像は悲しみに打ちひしがれているわけではありません。それでも 芭蕉はその涙若葉で拭いたいと見たのです。鑑真像はなんとも形容しようがないのです。芭蕉のように 涙とも慈悲とも言葉ではいえません。ただ 鑑真が存在するだけなのです。 世界中のどの彫刻にも負けない強い存在感が僕たちを打ちひしぐのです。唖然とさせるのです。 芸術の最高の状態ではないでしょうか。脳が意識化して言葉に還元できない説得力は言葉の芸術以外に携わっているものの芸術に賭ける思いです。
音楽にもリズムもメロディーも超越して魂とか作曲家や演奏者の思いだけが漂って聞こえてくるときがありますが、そのとき 眼前にとうに死んでしまった作者が現れているのです。
それから年月が経って鎌倉時代、運慶が現れます。その間鑑真がありながらどうしてその流れが消えてしまったのでしょう。運慶までまたなければならないのです。 漫画的な仏像だけが大量にだから 民衆的に作られ続けるのです。
1212年鎌倉時代イタリアに先駆けて日本にカラバッジョが現れたのです。この2像の存在はあの聖カラバッジョと並べてみても劣ることはありません。強いて言えば無著には慈悲のまなざしを感じ、世親には宇宙の恐ろしさに観念しようとする気配を感じますが そのリアリティーには一元化の兆しはありません。
その後も彼らの意思を次ぐものはあらわれません。時々リアリティーのある肖像もありますが、鑑真や運慶の作品とはならべようもありません、今でも仏師として職業が成り立ち仏様を彫り続けていますが 先月外国に行かないよいうに日本人が落札した運慶の坐像は仏像の様式ですが凛として奥深く魅力的な仏像でした(だから 仏像という様式の中でもぐっと来る物は、他にもたくさんあります)
漫画には画像だけでなく物語りという大切な要素もあるのですが 我々は 画像に一元化を求める癖があり そのため 商品化が得意だとか 他人に抱く思い込みが単純だったり
脳化が障害なくすすんだり 有り余る自然に雑草という概念を植えつけて自然を制御することに罪を感じなかったり、思いのほか一元化には功罪併せ持って影響が強いように思われます。
室町時代平織りの織物に綾織りという技法が現れ 織り目の形態の違いに綺麗という字を発明しました。派手でうつくしいこと、嫌悪感を誘う濁りや汚れをとどめないさま、と広辞苑にでています。それまでは うつくしい 美しい 愛しいと肉親への愛から ちいさなものへの愛 可愛らしい 慈愛(うつくしび)と使っていたものが 可愛らしくない美しいものを綺麗と言ったととれます。それから 大声で 「綺麗にしなさい!」と変化するのです。其の語彙には悪意が含まれているように感じます。
古語辞典によると「うつくしい」はいつくしみという言葉からうつくしいに変化したようですが もともとは 肉親への愛 わが子への愛がうつくしいの本来的意味合いだと思われます。わが子を育てるとはきれいごとですむわけが在りません。
綺麗とうつくしいはそういう違いがあって使いわけられていますが 実は 綺麗しか使われていないのではと思い至るようになりました。
なぜなら 綺麗は一日に数回使われますが うつくしいは一年に数回使うでしょうか?読書癖でもないかぎりうつくしいとは言わなくなっているのです。
思うに 漫画化一元化から うつくしいは遠いのです。うつくしいと感激したとき時として汚れや濁りも包摂する場合があるからです。現に子育ては大便も小便も子供が出てくる上下に通じていて だから 子を降ろすとき大中小の間の中絶というのですかね?とは冗談ですが。そういうものも含めてうつくしと言ったのです。
しかし 現在 匂いも汗もほこりも汚れも 人間の特質の一部を嫌悪する時代となってしまいました。それで 愛だとか 尊重だとか敬愛だとかの感情が変化なく続くわけがないと思われます。他人に自分の望むところのみ求めるのは ひとを全体として見る癖がないことを意味します。一元化のもっとも危惧するところは 人格形成にも関わる ひととはどういうものか を問うことのないところにあると思われます。ひとを漫画として愛するということです。複雑怪奇な人の性格に仮面をかぶる状態です。(
綺麗な建築が最高の状態で今に至って 綺麗なものとは大いなる規制を受けて成り立ち その故 その空間は住まい手にきれいにしろ!と規制をかけているのです。
ビニールクロスと塩化ビニールの印刷した扉とその木目の枠、床は塩化ビニールか 木とも思えないフローリングでプラスチックの冷蔵庫。ライト。パソコン。机とくれば すべてが おめえ きちんとしろよ!と毒づいていることを感じないでしょうか?
時には 古い農家や明治時代の洋館に入って自分の気持ちがリラックスしていることに気がついてもらいたいものです。(当然のように昼寝がしたくなります)
自然とは我々に規制をかけない環境です。それは 全体だからでないでしょうか。上記の家の素材は商品化された一元的意味しかもっていないのです。たとえば 室内に左官材や木や紙や畳で構成されていれば それぞれは 自然材を手入れして作ったものと 自然材を創造もできないほど加工したものでは 人の感受する質感の差異は歴然です。我々は機能に感謝してもすぐになれてしまい 質感によってのみ感動すると知るべきです。
山登りをして早朝雲の切れ目から光が漏れ始め黄金色の太陽が覗くと 人は手を合わせて涙するといいます。自然との邂逅にもっともエクスタシーを感じるとイギリスの科学者の研究結果があります、ちなみに2番目は愛だそうです、エクスタシーを導くトリッガーの研究ですが 次は法悦 運動 回想 知るとき 創造 とありますが 当然美しいものを見たときも上位に入っています。だが かなしいかな 早朝太陽を拝んだ人々はうつくしいとは発せず きれいねーと言うそうです。
うつくしいと言うとき対象と自分が一体感があるとおもいますが 綺麗というとき一種突き放し一体になることを避けているように思います。たぶん 涙する人は何事も発っすることが出来ず手を合わせるだけなのでしょうが。自然との邂逅に綺麗と使わざる得ないことに何故か危機感を感じてしまいます。
ドイツの思想家フランクリンは充足した状態は心臓の周りの環状動脈が勢いがよいときと書きます。それは 自然の赤や紫の花々や 白い雲や 小川のせせらぎなどを感じたときの状態だといいます。明日遠足だからうきうきしていても 動脈に変化なく充足の状態でないと、フランクリンはナチの収容所の中でそれらを見て感じる人に生き残る可能性が高かったといいます・。充足感は満ち足りた状態のことです。
我々は言葉の発達によりサバン症的特質した記憶力だとかをなくしたといいますが、石器時代という長期の経験記憶が未だ優勢で大脳皮質のいうことなんか聞くものかという側面があるように思われます。一元化を編み出した日本人が良くって一元化にしたのだろうからそのまま一元化に賛成していれば いいのにとも考えられますが(きっと先鋭の科学者は大脳皮質サイボーグを作りたいでしょう)
しかし 仏教ではひとは大脳皮質に頼らず大脳辺縁系にまかせると考えているようです。仏教が石器気質なゆえんです。何も無い 「空」は般若信教にたびたび出てきますが なぜか 狩猟採集の時代のことではないかと思えてしまうのです。
「わたしの幸福は野蛮に由来し 私の不幸は文明に由来する」ということは 山登りしたり、水泳したり 格闘技したり 紅葉をめでたり 温泉にはいったり 木の家にこだわったり 釣りをしたり 狩猟をしたり これらはみな 石器時代の経験記憶に違いないと思います。野蛮を味合うことは 自然への愛着なのだと思いますが、一種居心地のいいものと感じても 人が綺麗に作ったものでないと受け入れられなくなっているのは コンピューターが大脳皮質の代わりに活躍している現代が経験記憶を無意識の奥の奥にしまったとしても そのほうがかえって 現代人の行動にトラウマとして影響するだろうと思います。(田舎など嫌いなお母さんは子供に花や岬や自然の名前を付けたがる道理です)
東京芸術大学の保険の先生であった三木茂夫先生は 東大での講義で何十億年もの生命の発生の時間を胎内にいる時間に味わうと語り その宇宙的な語り口に聴衆は涙する人もいたと伝えられていますが、かの先生 人の心は息にあると言います。
息苦しい 息切れ 息詰まる 息抜き 自分の心と書いて息と読むのです。緊張したとき人は息をしていない。それを息詰まりといいます。そのとき深呼吸するとこころが晴れる 息が抜けたのです。息が合うとはこころが通じるともいえます。
われわれ 日本人はこころはどこにあるのかと問うと 脳の中にあると言うか胸を指してここにあるいいますが、息遣いがこころの状態だったのです。そのこころが息つくことなく詰まり続けているのが今の現状ではないでしょうか。
団塊の世代は少年時代漫画によって日々楽しみました。その時代から漫画は恥ずかしがらなくてはならないものは小数です。漫画の物語に説得力も、斬新さも、時代の鏡としての芸術性も他の表現に劣ることはないと思われます。映画とは親近感のある表現方法ですが、別ものと考えるべきでしょう。
だが、漫画特有になる一元化の作用は、仕様がないねー、や、怒るほどのことはないだろー、とか、寛容な精神を阻害するのではないか、と危惧するのです、その切れやすい歯止めのない現代の時代の息苦しさを表現方法として助長しているのではないか、その、刃物のような漫画が世界に流れていいのだろうかとも 思っています。
テレビは個人消費時代を創作しました、今 テレビは視聴者を子供に変化させようともくろんでいるように見受けられます。道端に背中を付けて両手、両足をばたばたさせて 買ってクレー!!と叫ぶ子供を作るために、キャラクター(キャラクター人形は赤ん坊を引き付けるために作ったもので漫画の一様です)や、子供に話しかけることば使いや、音や。男おんなや女おとこの一様なボキャブラリーやで、大宅壮一が一億総白痴化と言った子供化が終了しようとしているのです。
と、いろいろ考えているのですが、どこかで論理がねじれているやもしれず、意味不明かもしれないのですが、
今日の日記に出てきた、養老先生からお聞きになったという、文字と画像を処理する脳の部位が違うというお話に興味を持ちました。勉強不足で恐縮ですが、どなたのなんという論文か出典をご教示いただけませんでしょうか。
僕は社会科学、人文科学なんて言った者勝ちだと思っていますから、状況証拠から公約数的になんらかの解を導き出すことはいくらでもやればいいと思いますが、それが真理や普遍性の光を放っているかのように語られると途端に背筋を寒いものが走ります。力強く語られると特に。
旧制高校スラングのような「外来語プラス外来語」の造語は60年代以降のネオロジスムの中に見出だすことは困難である(見つけた人はご教示ください)。
もっともこれらの語の造語成分であるドイツ語由来の外来語は、すでにかなり一般的に通用しているので、学生のあいだでしか通じない外国語の語彙を用いた隠語の場合とは、成立事情が異なるとは言えるでしょうね。
フランスにおける識字率の問題については、昔仏文科にいる友人から聞いたことがあります。(当時は「文盲」という今では使うのがはばかられる言葉を使って話していたので記憶に残っています。)
ところでパーカーの「プレイメイツ」、懐かしいですね。ストーリーは全然おぼえてませんが・・・。スペンサーのシリーズでは「初秋」がいちばん印象に残っています。あと「失投」なども。「キャツキルの鷲」以降は結構読んではいてもほとんどストーリーを忘れてしまいました。あのシリーズはまだ続いているのでしょうか?スペンサーももう「喜寿」くらいじゃないのかな?たしか朝鮮戦争に従軍した、という設定だったような。
養老なにがしとかいうバカともども、内に秘めた「優生思想」の片々がまたしても鎧の裾から出てきましたね。
日本人の脳の構造や機能が、外人とのそれと違いがあるわけねーだろ。ヒトラーじゃあるまいし。寝ぼけたことをいってるんじゃねえすよ。
そういう阿呆な発言が、ここを読む一部の内田ファンの阿呆たちに誤解された場合、いかほどの差別と愚昧を生み出すか。
「辺境」なんていっている時点でもうアウトだ。物事を深く掘り下げる姿勢が端からないことを白状しているようなものです。
たとえば「仏教」はインドで起こって、中国やチベットという迂回路を通り、最終的に日本という辺境で集大成され、極度に完成された。
親鸞という人物によってそれは究極的に研ぎ澄まされ、挙句、解体というぎりぎりのところまで突き詰められた。
アノルド研究では新進の哲学者で、詩人のxさんからは群像の編集部に「もう書かないぞ」と脅しいれても掲載させるけどどうだ? といわれたが断った。
おれには一切合切、最初から名誉欲も、人から尊敬されたいとか、有名になりたいなどという人並みの欲望があったとしても、努力の力が最初から欠けているんだ。
覚えるべき文字の数と種類が(少ないことではなく)多いことが識字率の高さと関係するかもしれないというのは面白い仮説ですね。僕のようなシロウトの印象でも、脳というのは省エネすればするほど元気がなくなっていき、逆に使えば使うほど新しいエネルギーを生み出す傾向(もちろん定期的な休息は必要ですが)を持っているように思います。また、一般的に、ひとつの感覚に訴える情報が継続するよりも、複数の感覚が刺激された方が、脳の覚醒度は高まりやすいと思う。(蛇足ですが、これは使われる脳の「部位の数」が、音声的な情報だけの場合と、そこに視覚的な情報が混在した場合とでは異なってくるという話で、もともと脳の構造が違うというような「優生思想」とは関係ありません。例えば英語人の脳の中でも顔文字が混在する文章を読んでいるときには同じことが起きると思います。)
あと、僕は「日本語クレオール説」というものの存在を今回の記事で初めて知ったのですが、ちょっと興奮して検索してみると、一部の学者によって主張されつつも根拠が弱く、内田さんの言うように「トンデモ」の部類として見られがちということのようですね。でも、面白いなー。僕は日本語の「主語の無さ」に興味があるのですが、ひょっとしてピジン言語やクレオール言語の発生過程においては、そもそも言葉が通じない同士がなんとかコミュニケーションを成立させようと努力するわけだから、嘘でも何でも「自分たちはいま同じものを見て同じことを感じ同じことを考えている」という設定をすごく大事にするんじゃないかなんて勝手な空想を楽しんでいます。「楽しい?」「うん、楽しい!」「ねー! 楽しいよねー!」みたいな感じで。主語の欠如は同質性の高い人々の間で発生すると僕はこれまで思っていたけれど、まったく逆に異質な人々の間でこそ発生するのかもしれない。ただしその場合、両者が「辺境的心性」を共有している必要がありそうですね。自分が中央だと思っている人は相手に自分の言語を押しつけるだけだろうから。
大昔から今日まで、ほんらい主語のない言語のほうがふつうであって、むしろ、もともと主語がなかったのに、ある事情から主語が表に出てきてしまった英語こそが世界でも、もっとも珍奇な言語なんですよ。
(ここで『主語がない』という意味は、『主語があっても良いが、なくても良い』という意味です。その点英語は『必ず主語がなければならない』という点で、世界で唯一珍奇な言語なんです。
中世のラテン語や古代ギリシャ語になると、名詞や動詞の格変化によって、行為の主体が特定でき、主語は省かれることが多い。
それから、日本の漫画の特徴は、日本語の豊富な擬態語・擬声語によって効果音などを表せることですよね。これが中国語(他の言語でも)だと翻訳不可能なものが多く、漢字で表されているものは日本人には異様に思えます。
ご紹介いただいた本は僕も読んでいて、そして、自分自身の想像の中でも、たぶんすべての言語はその起源において主語というものを持ってはいなかっただろうと考えています。それこそ「(獲物が)いた!」「いた!いた!」みたいに。その意味で、主語のない日本語が珍奇な言語であるとは、僕はまったく考えていません。
僕が興味を持つのは、一部の言語は後に主語というものを発明し、それをどんどん確立していって、そして、そのような言語の使い手が僕たちの暮らす現在の世界の政治的・経済的・文化的ヘゲモニーを握っているということであり、同時に、僕自身の属する日本語の世界が、現在に至ってもなお、主語というものを本質的には確立していないという事実です。
ちなみに僕自身は、主語の無いコミュニケーションの母性的な優しさの良さも痛感しつつ、金谷さんとは違って、日本語は意識的に主語を獲得するべきなんじゃないかと考えていますが、でも例えばこうやって書き込みをするときにすべての文に主語をつけるということは、やはりかなり難しいです。
英語が主語というものの有効性を発見していったのと反対に、日本語は、その歴史の中で、主語の欠如の有効性をますます強化されていったのではないかと僕は想像していて、それが「辺境におけるクレオール的状況」だったのかもしれないなあなどと想像しつつ、今回のエントリーを楽しんだわけです。僕は。
最近の米映画はすべて銃をもった男か女が、悪を探してうろつきまわり、最終的に爆発物を大量に爆発させて仮想悪を殲滅するという狂的な被害妄想的映像の大量生産となっている。
ちょっと気になったので一言コメントさせていただきます。養老先生が念頭に置かれていらっしゃるのは恐らく語義失語gogi aphasiaまたは意味性痴呆semantic dementiaの事ではないでしょうか。側頭葉の障害によって起こるのですが、語の意味、すなわち語義が選択的に障害される病態です。この語義失語症の患者さんはかなの読みはさほど障害されていないにも関わらず、漢字の読みが選択的に強く傷害されてしまいます。失語症学会において色々と研究をされています。かなと漢字、処理する脳の部位が異なるのは間違いないようです。私は専門家ではありませんが、米国の脳機能研究者と話をした時には、日本語は独特な言語体系であり、脳の機能の面から見ると日本人は変な事をしている、と言われたことがあります。

 

[ 484] 国内6メーカー担当者が実物を見て語った「iPhoneの衝撃と本音」 モバイル-最新ニュース:IT-PLUS
[引用サイト]  http://it.nikkei.co.jp/mobile/news/index.aspx?n=MMIT0f000019072007

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iPhoneをハワイで購入してから3週間。現地では契約できずに「7万円の電子文鎮」という高価な土産物になってしまったが、その後、四苦八苦して何とかAT&Tと正式に契約することができた。2週間ほど電話以外の機能をあれこれ試しているが、やはりタッチパッドを使った操作性は、とても快適だ。(石川温のケータイ業界事情)
まず本体を見る前に、国内メーカー関係者が驚くのが、iPhoneのパッケージだ。高級時計や貴金属を思わせる高級感のある箱を前にして、A社プロモーション担当は「アップルらしい」とため息をついた。国内ではほとんどのキャリアが、コーポレートカラーを彩った共通デザインの段ボール箱を採用しているだけに、メーカーとしては、箱に対してすらうらやましいと感じるようだ(イー・モバイルだけはデザイン性の高い箱を採用)。
iPhoneは、3.5インチの大型液晶を搭載し、タッチパッドで直感的に操作できるのが特徴だ。画面のスクロールや反応も俊敏で、パソコンと比べても比較にならないほど、サクサクと操作することができる。写真のサムネイルを何百枚も表示させても、思いのままストレスを感じることなく操作できる。
「この操作性は素直に感激する」と語るのは、B社マーケティング担当。「サムスン電子製のARMチップが使われているようだが、ここまで快適に動くとは正直、脱帽する。ユーザーが惹かれるのは理解できる」(C社端末戦略担当)と、iPhoneの俊敏性にはメーカー関係者の誰もが舌を巻いていた。
 <拡大>通常の操作で使うボタンは1つ iPhoneには、通常の操作で使うボタンは1つしかない。メールを使っている際、他の機能に移りたいと思ったら、本体下部のボタンを押してホーム画面に戻り、使いたい機能に移動するという操作体系となっている。あとは、直感的にタッチパッドを触って操作していく。
日本のケータイは、テンキーを使い文字を入力する。操作をするにはサブメニューを呼び出して、使いたい機能をリストから選んでいくという流れになる。
国内メーカーには、テンキーのほうが使い勝手が良さそうだという固定観念がある。しかもユーザーの多くは、機種変更をして、ちょっとでもクリアや濁点ボタンの位置が違うだけで、「前の機種のほうが使いやすかった」と感じてしまう。メーカーもユーザーも、テンキーの操作性に慣れきってしまっているのだ。
そのため、2番手以下のメーカーは、トップシェアメーカーが採用するテンキーの操作性に近づけて、ユーザーを奪いとろうと努力する。結果、どのメーカーも似たような操作性になってしまう。
しかし、iPhoneの場合、タッチパネルによる全く違った操作体系を取り入れた。そのため、多くの人が違和感を抱くことなく使うことができる。A社プロモーション担当は、iPhoneを操作していくうちに「我々はテンキーという固定概念に縛られているのかも知れない」と落胆した。
「そもそも、ボタンをほとんど搭載しないという開発思想が吹っ切れている。だからこそ、実現できた操作性だと思う。常識から考えると、ボタンを搭載した方が、操作をしていくうえで断然に速い。しかし、タッチパネルにして、さらに操作に『エンターテインメント性』を入れている。ここがアップルのうまいところ」(D社端末企画担当)だという。
 <拡大>指をを開くと拡大表示。直感的に操作できる C社端末戦略担当は、「実際使い込んでいくと、ズームインなどの描画速度は遅かったりする。これは、国内メーカーの立場からすると、とても許せる範囲ではない。しかし、iPhoneのタッチパネルによるUI(ユーザー・インターフェース)にはエンターテインメント性があるため、描画速度が遅くてもユーザーに遅いと感じさせないようだますことができる。こんな演出を先にやられると、国内メーカーは真似はできなくなってしまう」と語る。
メーカー関係者が語るエンターテインメント性とは、地図や画像の表示時に、人差し指と親指をくっつけ、画面上に置き、指を開くと、それに併せて画像も拡大表示されることを指している。また、写真のサムネイル表示も、写真を水槽に浮かべて、水面を滑らしたときのような、自然界の動きに近い描画をする。

 

[ 485] 中卒の私が学歴について語ってみる - $ dropdb 人生
[引用サイト]  http://d.hatena.ne.jp/dropdb/20080525/1211703385

「上にはぐれた連中」を見て、「オレも大丈夫」と言う前に、自分がどっち側にはぐれているのか確認しておきなさい。
俺は県立高校を卒業しましたが、相手の女性は中卒だそうです。学校も行かずに彼女が何をしていたのかは知らない、男と遊んでいたのか、
ちがうよ、全然ちがうよ!一応、陸上部の推薦で高校の体育科に進み、1年は在校していました。恋人はもちろん己の筋肉でしたwwwマッチョ女wwwですwww大会出場で記録*1を出したりと頑張ってきて、小学生からの夢であった陸上の選手になってオリンピックに出る!が現実になるのかなとwktkしていた矢先に、ドクターストップ。
運動が出来なくなった今、脳みそまで筋肉になっていた私に残されているのは何もなく。スポーツ選手として生活できないのになぜ体育科にいるんだろうと思い退学。ぶっちゃけるとちょうどその頃、父が借金を残して失踪。家庭がカオスだったのもあるwwwうちのママンは外人で日本語が不自由だからパートくらいしか出来ず、私も学校辞めてバイトを3つ、4つ*2掛け持ちして家計を助けることに。この間にも家庭にイロイロあって辛かったが略すwww辛いときほどwww草が生えるのは2ちゃん脳www
ママンの国に帰郷すれば、それなりの生活はあったけどなぜ帰らなかったかというと、下の弟妹が小さく日本の義務教育を卒業させたいってのがあったから。弟妹も日本を離れたくなかったみたい。ママンは外人で親戚もいない、言葉も通じない国で子供3人を育てるタフネスすげぇwwwと思っていた。
携帯電話で片手間にアーティストのファンサイトをはじめたら、少しずつヒットするようになった。いろんなファンサイトを参考にして、派手に面白くするにはHTMLを覚えなきゃいけないらしい。本を買って携帯電話でHTMLをいじるようになった。マーキーとかwww
当時は、パケ放題プランはなくて通信料が8万円 / 月もかかってしまった。それを7ヶ月繰り返した*3ところでママンが自分の国の言葉でブチ切れる。わけもわからないから怖いwwwもうしませんもうしませんと、その場で携帯へし折って誠意を見せた!
でも、作りかけのファンサイトが気になって唯一つながりのある父親方の親戚、いとこのお兄ちゃん*4に相談したらパソコン買ったほうが安いと言われて、スポーツ筋肉脳だった私は『パソコンヲタとかキモーイwwwギャハハハwww』とスルーしそうになったがパソコンはなんだかスゴイモノだと説得され購入することに。
パソコンが届くまで、パソコンについていろいろ調べておいた。プロバイダ契約が必要だってこともしらなかった。コンセント入れたら通信できるんじゃねーのかよwwwと何もかも素人だったけど、いざパソコンがきたら携帯電話の画面でHTMLをやっていたのと比べて液晶でけーwww通信はえーwwwってのもあってひたすらのめり込んだ。
ここが引きこもり時代。ずっとパソコンと向き合ってた。で、縁があって東京のシステム系の会社に勤めることに。今でも素性のわからない子を雇ってくれた社長は恩人として感謝しています!
まぁ、中卒・高校を中退するに至るまで人それぞれ理由があると思うので一概にどうとは言えませんが、学歴を理由に何ができないとかそういう考えはよくないかなぁと思っています。あとはやっぱり、人生はチャレンジかなー!と。(暑苦しいwww)
ずっとスポーツしかやってこなかった私が、パソコンヲタきめぇwとバカにしていた私が、人からのすすめでパソコンをやることを否定せず、じゃあやってみるか・・・という気になったのはよかったです。食わず嫌いというのは損するんだなぁと。とりあえずいろいろやったらいいと思いまーす。
泣きはしなかったけど。ウルウルしてしまった。あるよなー、そういうこと。何があるか、わからんよ、人生は。
草w←の数が少なければ泣かせたのかもしれない!wなんて。何があるかわかりませんね、人生って。。しみじみ。
同じく高校中退したヤツが通りますよと。中退の理由も、そのときの状況も違うけどね。つらい状況の中頑張ってる姿を見ると俺も頑張らなきゃと思います。
これからは学歴より努力と実力が反映される世の中になってきましたよね。ただ中卒だとチャンスまで辿りつくのに難有りかもしれないので気合いれて自分で何かおっぱじめるってのが良いですな。実力は努力しだいでどうにでもなるし
おっ、ハーフ&家庭崩壊仲間じゃんwいろいろガンガッたね。ちょっと分かるよ。偉かった。よすよす。あと、社会に出てるのに学歴が関係ある職場はノミニケーション重視とかそういう意味の無いとこだから、関係ないっしょ?つかえない奴は学歴にスガらないと自尊心保てない。生暖かい目でみてあげよう。
そういや、中学の頃同じ部活だったけど、キツイ部活で精神やられて引きこもってしまったやついるんだよな…。俺もあそこでへたすりゃ今頃ヒッキーだった…というかそいつが引きこもったのって、俺がやめた後だったし…(´゜’ω゜`)いろいろあったけど、母親には感謝してます。学生出来てるだけありがたいと思う今日この頃。
凄いなぁ。漠然と生きてきて流れるままにPGやって今に至る俺とは大違いだ。苦労してる人ってかっこいいな。(こういう言い方自体、えれー他人事目線だな、おい)他人の大変だった過去を勝手に美化するのはおこがましく、それを羨ましいと思う自分が情けないような。でもやっぱり、その強さが羨ましいような。
おいら、高卒なのに女子大の非常勤講師させられたことある。知の高速道路? おいらの授業じゃ「痴の高速道路」だったと思うが・・・でも、キャタピラ装備のおいらの走り方を、ロイヤルサルーンな女子大生にしてもあまり意味はなかったような気が・・・
dropdbさま、はじめまして。例の、人騒がせな劇場の管理人です。そのはてなスターのアニメーションgifがとてもすばらしいと思っているのですが、そのアニメーションgifのオリジナルの作者を知りたいです。もし、ご存じでしたら、かつ、差し支えなければ、教えていただけると幸いです。# もしかして、dropdbさんのオリジナルですか?よろしくお願いいたします。
昨日はども。あんなところで会うとは思わなかったw学歴は保険。だから掛け捨てになることもある。途中さぼっちゃうと学歴あっても意味ない。と、さぼった俺が言ってみる。それにしても足はえー。俺の高校の時のベストと変わらん・・・。
20代前半とかは勢いだけでやってきた感じですけどね(笑)でも, いろいろあって, かなり鍛えられましたwいつかじっくり語り会えたらいいですね〜

 

[ 486] アニメやりに東大行ったおれが学歴について語ってみる - E.L.H. Electric Lover Hinagiku
[引用サイト]  http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20080527/1211918547

こういう話が出てくると、どういうわけか大卒であることを恥じたり、過度に学歴の低さをリスペクトしたり、果ては高学歴に敵意を向けるコメントが出てきたりして大変もにょる。いや、学歴関係ねえって文脈じゃないのかこういうのは。
大切なのは学校出たあとってんなら、どんな学校で何やってようが当人の自由じゃないのとも思う。自分に自信あるやつが大学で4年間好き放題やったってかまわんのである。4年といわず8年いたっていいさ。時間の無駄だ、という意見が当然出てくるが、それはむしろ金の無駄だと言いたいのではないかな。何のためにお前に投資していると思ってるんだ、みたいな。
どうにも引け目を感じるが、なんだろうな、そういう観点で高等教育を推し量ると、文学部なんかまるっきり存在価値がなくなってしまう。太平洋戦争中の学徒出陣って、文系の学生が徴兵猶予を撤廃されて戦場へ送り出されたわけで。あれって要するに、理系の連中は兵器開発とかやらせて戦争遂行の役に立つけれど、文系なんざこんなときは使い物にならんからさっさと兵隊にしてしまえって話だしなあ。
そういうヘンな功利主義は長い目で見て文化的に社会を貧しくすると思うのだけど、どうか。戦後しばらくして、女子の大学進学率が急激に上昇したのだけど、その大半がただ嫁入り修業で箔をつけるために何の真剣みもなく文学部に進学しやがる連中だ、ケシカランという「女子学生亡国論」が巻き起こった。半世紀近く前の話なのだけど、これは高度経済成長に伴い、そういう進学ができる経済的余裕が社会全体にもたらされつつあったことの表われなのだと思う(中公新書『教養主義の没落』『女学校と女学生』参照)。
……ひょっとして、すでに今の日本、実用性のある分野で社会に貢献する気のない学生を遊ばせておく余裕はねえんだって話? なんてこったい。
というのはつまり、無駄極まりない学生生活を送った自分を擁護したいのである。ぼくの人生、無駄ばかりなのだ。そんなやつは社会に必要ない、と宣告されてはたまらない。
以下、クソ長くも鬱陶しい半生ガタリなので隠す(しかしこの機能、ブクマ経由で最初から記事単位で読む場合なんかは意味を成さないなあ)。20代の終わりにもなって中高時代や大学受験の話を延々語るのは社会的に成功していない、成熟していない証としか言いようがないが、このあたりのエピソードはまだテキスト化したことがなかったので、半分以上自己満足である。そんなものに付き合う義理はないという方は立ち去るがよろしかろう、学歴に関する主張は上のパラグラフで終わっているし。
ここ数年、高校の後輩がサークルに入ってくることがしばしばある。アニメ研の9年後輩にもいる。彼の担任はかつてのぼくの担任だった。初対面のとき、この後輩にぼくの昔話をしたところ、「有村悠」という名を担任から聞いたことがあると興奮気味に語ってくれた。お前みたいなやつが昔東大に行った、と。
複数の教師の口の端に今でもぼくの話題が上るらしい。ある恩師は、「アニメをやりに東大に行ったひとがいるんですよ」と授業で語ったそうだ。
ぼくの出身校は久留米大学附設中学校・高等学校という、東京大学に毎年20〜30人くらい現役で合格する田舎の進学校だった。ダン君がCTOをつとめたオン・ザ・エッヂ(現ライブドア)元CEOのほっちゃん、もといホリエモンこと堀江貴文氏はぼくの7年先輩である(中高合わせて6年なのでお会いしたことはない)。さらに大先輩にはソフトバンクの孫正義氏がいるが、彼は高1の夏に中退して渡米したダン君的な人物だったという。
なんでぼくがそんな学校にいたかというと、公立の中学へやったら間違いなくいじめられると親が判断したためだ。福岡市で小学生やっていたころのぼくは、授業中に席に座っていることすら満足にできず、だいたい教室の後ろで学級文庫を読み漁っているか、着席時は絵を描いているか、飛行機を2機くらい折って自ら空中戦を演じては最後に効果音つきで破壊するかという、たいへんに気違いじみた子供だった。1年の最初の家庭訪問では担任に「困ります」を連発され、彼女が家を辞するや泣き崩れた母親に自室から引きずり出されて散々にぶん殴られたし、授業参観中にとある保護者から「あの子なんね、気違いね?」と指差されたことまである。隣にいた別の保護者が「それが違うとって、あの子天才らしかと」とフォローしたそうだが。
小学校は家からわずか200メートルほどだったにもかかわらず連日のように遅刻していたが、あるときその理由に「家で新聞を読んでいたら出るのが遅くなった」というのを挙げた
小4くらいのころに適性検査らしきものをやったら「研究者」「芸術家」が突出していて、その他の職業は軒並み壊滅的だった
たしかにこういうやつは、当時不良生産工場として有名だった地元の公立中学ではどんな目に遭うかわかったものではない。母親の英断であった。父親はそもそもぼくにあまり関心がなかったというか、小5のときに単身赴任する前もあまり家で顔を合わせた記憶がない。それでも塾へ通う金は出してくれた。ぼく自身はどこで何をしようとわりとどうでもよかったので、両親の意向にホイホイ従った。
もともと勉強嫌いというか、ひとから言われたことをこなせないぼくだが、中学受験のときだけは真面目に塾に通い、家でも多少の予習はした。「受験生は午前一時、二時まで勉強せよ!」などと、教育勅語のごとく小学生に唱えさせるファッキンな塾だったが、受験期は週6で22時くらいまで通っていた。いやよく我慢できたものだ。このころが人生で最も勉強した時期で、中学に合格するや、ほとんどあらゆる自宅学習と縁を切ってしまった。
1992年に中学生になって、最初の中間テストで151人中110位に甘んじた。そりゃそうだ、勉強を放棄したのだから。「附設を甘く見るな」というメッセージの添えられた成績表を戴いたものの一切気にせず、ぼくは廃部状態だった歴史研究部を再興し、同級生や顧問を引き連れて古墳だの遺跡だのを訪ね歩いていた。当時は考古学者になりたくて、福岡市の埋蔵文化財センターに通いつめては発掘調査報告書を読み漁り、データベースを作っていたのである。二年になると歴史研究部は同好会から部に昇格して予算が下りたが、部長のぼくの計画性のなさと横暴っぷりが露呈し、福岡市内から久留米市へ転居したその年の夏休みに行われた、大分方面への研究旅行で続発したトラブルが発端となって部長職を解任されてしまった。
ぼくは激怒して歴史研究部を退部。半年ほどやさぐれた生活を送っていたが、そんな折、たまたま同級生たちが『ソード・ワールドRPG』というテーブルトークRPGをプレイしているところに混ざることになった。なぜか日付をはっきり覚えているが、1993年12月4日のことだ。歴史研究部でのトラブルが原因で歴史研究そのものへの情熱を失いかけていた反動からか、ぼくは恐ろしい勢いでTRPGにのめりこみ、翌年には仲間うちで一番熱心なプレイヤー兼ゲームマスターになっていた。参考文献的に『フォーチュン・クエスト』を購入したのがきっかけでライトノベルにもハマり、1995年に中学を卒業して高校にエスカレーター進学するころには、TRPGのルールブックやライトノベルは計150冊を超えていた。しばらく離れていたアニメも、『魔法騎士レイアース』がなにやらファンタジーっぽいということでまた見るようになった。早い話がオタクになっていたのである。
オウムが東京の地下鉄にサリンを撒いた数週間後に高校に進学し、外部からの入学者が50人加わって一学年200人ほどになった。
あいっかわらず勉強しなかったぼくの成績は壊滅的で、中間や期末で180位台をマークしたりしていた。理系科目など赤点以外だったことのほうが珍しく、物理で16点取ればどうにか年間平均で赤点を免れるという状況で9点だったり、化学が実は留年決定の成績だったのだけれど、お前は文系ができるし才能もあるようなので見逃してやるという温情判決を押し戴いたりというデタラメさだ。数学に到っては、教師からしばしば暴行を受けた。授業中、数学教師に廊下に引きずり出されて投げ飛ばされるなんていうのは、わりと珍しい体験だろう(その教師自身は、ぼくが教わった中では好感度のかなり高い御仁なのだが)。
教師陣を相当やきもきさせていたことだろうが、ぼくはまるで気にせずスタディフリーで通した。机に何時間も向かって予習復習するくらいなら、小説読むしTRPGのシナリオ作るし絵描くしアニメ見るわ! という按配である。似たような成績だったTRPG仲間(というか、オタク仲間)と揃って見事に落ちこぼれていたわけだが、まったく意に介さなかったどころか、将来は京都大学なり大阪大学なりに進学してグループSNEに入るのだと信じて疑わなかった。グループSNEは『ソード・ワールドRPG』を世に送り出したゲームデザイナー集団で、『ロードス島戦記』を手がけた水野良や、と学会会長・山本弘が在籍していた。
彼らの手がけるゲームやリプレイや小説が面白かった以上に、SNEメンバー同士のやり取りのところどころからにじみ出る内輪の雰囲気が楽しそうでたまらなかったのだ。今思うと、あれはまるっきり古きよき大学オタク系サークルのノリだったわけで、第一世代オタクのメンタリティの刷り込みがそうやって始まっていたのだろう。ぼくもまた、実際にリプレイを制作したり小説を書いたりしはじめていて、そこにはしっかりと有村悠の名を刻んでいた。表現者・有村悠というアイデンティティは13年も前に獲得されていたのである。
そんなところに、『新世紀エヴァンゲリオン』というアニメがやってきた。高1の秋のことだ。ドラゴンマガジン8月号に予告記事が載っていて、「あのガイナックスがまたまたやってくれました!」という文言と紫色のロボットと黒髪ボブカットのかわいらしい女の子(綾波レイの初期稿)に興味を惹かれ、見ることにした。第壱話放映当日は数学の補習に引っかかり、自転車を飛ばして帰宅してテレビをつけると少年とお姉さんが横転した車を元に戻すシーンだったのだが、それからはきっちり毎週見た。アニメージュなんかの煽りが上手かったこともあって、これはどうやら毎週見るべきだ、というのはすぐにわかった。綾波レイのデザインが黒髪ボブではなく青髪シャギーだったのはちょっと残念だったけど。
TRPG仲間はエヴァにはわりと冷淡で「人間ドラマぁ? ガンダムにかなうわけねえだろ」などと言っていたが、むしろそれ以外のちょっとオタクがかった連中が次々と転び、年が明けるころにはエヴァ派が徒党を組み、『残酷な天使のテーゼ』を歌いながら校内を闊歩していた。ちょいオタ連中の中に、アホみたいにギターの上手いロッカーの親友がいたが、X JAPANやBlankey Jet Cityを弾きこなしつつハイデガーやらニーチェやらを読みこなしていたこの男が、96年に入ったころからエヴァを語りだし、ぼくと並んでエヴァ派の筆頭となったのである。というか、ぼくより裕福だったのでしっかりビデオソフトを購入し、ライナーノーツをコピーして学校に持参していたので、ぼくよりも地位は高かったかもしれない(ファミコンソフトをたくさん持っているやつほど偉いというノリだ)。ちなみにライナーノーツで声優に関する濃い記事を書いていた小川びい氏、大学に入った直後のアニメ研新歓コンパでリアルに遭遇し、今では同業者になってしまったのだが、それはさておき。
エヴァの放映が終わったころには、ぼくはすっかり、よく訓練されたオタクになっていた。ライナーノーツやフィルムブックの書き方が上手くて、ここを担当したスタッフの○○氏は××という作品で……というふうに、読者の興味を広げやすい内容になっていたのだ(この点では実に画期的だった)。そこに引っかかるか否かは個々人の資質によるが、ぼくはものの見事に釣られ、久留米市内に増えつつあったTSUTAYAなどのレンタルビデオ店を最大限に利用して温故知新しはじめた。もちろん『天空のエスカフローネ』やら『機動戦艦ナデシコ』やら、コンテンポラリーのアニメも見ながら録画保存していた。ナデシコのころにはもうスタッフに注目する見方になっていて、あかほりさとる脚本はまーたこんなノリかァだの、ルリ回は傑作ばかりなのに江上夏樹作監は趣味に合わねんだよなァだの、毎週ぶつくさと呟いていた。もちろん当時、インターネットなど周囲には影も形もなく、例のロッカーの親友くらいしか開陳する相手がいなかった。
そんなふうにアニメオタク道を邁進していたが、そのころ何になりたかったかというと、実は小説家だったのである。やっぱり根っからの活字人間だったということか、エヴァの最終回サブタイトル予想がきっかけでSFに触れてからは、小説の趣味が急速にSFや純文学に移行。さらにエヴァの衒学趣味や、件のロッカーが貸してくれた『御先祖様万々歳!』の録音テープの影響で哲学だの心理学だのに目覚め、それ系の新書にも手を出しはじめた。相変わらずライトノベルも読みまくっていたけれど、筒井康隆だの講談社現代新書だのも本棚に並びだして、蔵書はハイペースで増えた。そして、そういうものを書くひとになりたいと漠然と思っていた。
当時は学校でアニメ談義をして絵を描き、放課後はゲーセンでTRPG仲間が格ゲーに興じるのを数時間観戦し、彼らと別れてからはさらに久留米市内の本屋やTSUTAYAを放浪し、19時台や20時過ぎにようやく帰宅してからも、アニメを見たり本を読んだり小説を書いたり絵を描いたりしているうちに0時を回り、そのまま就寝――というライフスタイルだった。相変わらず自宅学習などまるでしていなかったわけだが、そこは進学校のこと、高2(1996年)の夏ごろには高校の学習課程を終え、そろそろ志望校を決めろやガキどもという雰囲気になっていた。
そのころ、京大や阪大へ行きたいという志望を母親にあっさり否定されていた。そんなところへ行くのならば一切援助しない、地元の九大か、祖母が住んでいる首都圏の国立大、可能ならば東大にしろ、金はないので私大は滑り止めとしても受けさせないし行かせない、現役で合格しなければ即就職だ。そんな宣告を受け、かなり不貞腐れていた。
不貞腐れたタイミングで河合塾主催の東大チュートリアルのお知らせがやってきて、渋々それに出かけた。要するに現役東大生の河合塾OBが東大の勧誘を行なうのである。ナンボのもんじゃいと福岡市の薬院にある河合塾へ乗り込んだが、なかなかどうして、これが面白かった。各科類・学部の説明が興味を惹いたのもさることながら、駒場キャンパスの専門用語を解説したくだりが実に楽しげだったのだ。「駒猫=駒場キャンパスに生息する猫。文二生と同類」だとか「ウィンブルドン=成績表の評価をAで揃えること。『全英(全A)オープン』に由来」だとか「撃墜王=学生から単位をもぎ取ることを至上の喜びとする教官」だとか。なんだか楽しそうなところだ――グループSNEを楽しそうだと思ったときと同じ気持ちになった。
その直後、オタク仲間の友人たちと5人で、久留米から鈍行で上京するという企画があった。青春18切符を駆使した、まさに若気の至りである。1日半かけて東京入りしたぼく、その足でTRCで行われている同人誌即売会に乗り込んだのを皮切りに、それから東大駒場キャンパスだの本郷キャンパスだの、永田町だの神保町だのとうろつきまわった。宿泊は新橋や神田のカプセルホテルを転々と。4泊5日の、10代の最も尊い記憶のひとつだが、このとき実際に駒場キャンパスを訪れたのが、その後のぼくの人生を決定づけた。当時は駒場寮が健在で、荒れ果てた広場に駒猫がいた。夏の陽射しの中、まだ子猫のそいつを写ルンですに焼きつけながら、傍にいた女子学生と会話を交わした。夏休みでも大学には学生がいるんだなあ、と思った。
旅行中で浮かれていたこともあり、ぼくは駒場キャンパスを含め、東京そのものの雰囲気にすっかり気をよくした。なるほど、ここに住んで通うのも楽しそうだ、と。少なくとも福岡にとどまる気はさらさらなかった以上、選択肢はひとつしかなかった。2学期が始まり、ぼくは東京大学文科三類を第一志望として模試を受けた。もちろん、何ひとつ備えずに。
たまに「実力テストを受けるのならば一切対策をせずに受けねば、おれの実力は測れない!」と称してノーガードで模試を受け、見事に玉砕するバカがいる。実力テストどころか校内テストでさえろくに対策しないぼくだったが、どういうわけかこの進研模試でA判定が出た(Bだったかもしれない)。ぼくを含めて誰もが首を傾げたが、考えてみたら昔から模試になると普段とは打って変わって好成績を記録する特異体質だったのだ。それは真の実力ってやつだと言われて、なるほどそうかもしれないと思い、じゃあ受かるんじゃないのと楽観視することにした。その模試の全国3位が「フルハタ ニンザブロウ」だったのは余談。
そのころ、ぼくの学年のオタク・サブカル系勢力はエヴァ派を中心に20名近くにのぼっていた。高一の終わりからそのメンツで文芸同人誌を作りはじめた。英語の教材に出てくる"eternal beef"(連日の牛肉料理という意味)を直訳した『万年ビーフ』というタイトルで、顧問を迎えるでもなく、とにかくテーマを決めて何かしら書こうというプリミティヴな衝動だけで動いていた。ぼくも小説だの随筆だの評論だの、ずいぶんいろいろ書いた。文章のスタイルはたぶん、根本的には当時と変わっていない。昔から、読むひとが読めば一発でぼくの文章とわかるらしい。
どいつもこいつも、クリエイティヴな気分をもてあましていた。ぼくと哲学ロッカーの親友は夜毎、数時間にもわたって電話していた(もちろん家電である。ケータイなどまだ誰も持っていなかった)。何を話していたのやら、とにかく何か形にして表現しないと気がすまなかったように思う。
司馬遼太郎の『竜馬がゆく』1巻にこんなくだりがある。坂本竜馬と桂小五郎がはじめて会ったときの話だ。
と、桂小五郎はいきなり竜馬の手をにぎった。小五郎は、十分に若いのだ。ふつふつとこみあげてくるものに堪えかねて、手がふるえた。
と誓いあったのは、別に何をやろうという目的があったわけではない。何かやるには時勢がまだ熟していなかったし、それに二人はまだあまりにも若すぎた。
少なくともぼくはそんな気分だった。いつも斜に構えて衒学的な言い回しばかりしていた哲学ロッカーもそうだったに違いない。ぼくたちのやっているわけのわからん活動などどこ吹く風、と真面目に勉強していた連中だって、たぶんは。これくらいの時分には大なり小なり誰だってそうだと信じたい。この気分に名前をつけ、目的を与えて形を整えていけるか否かが、その後の社会での成否を分けるのかもしれない。……目鼻口を与えられた混沌は7日目に死んだけれど。
その直前の春休みに『新世紀エヴァンゲリオン 劇場版 DEATH & REBIRTH シト新生』、いわゆる春エヴァが公開された。ぼくと哲学ロッカー含め、エヴァ派の5人くらいで前夜から並んだが、最終的には15人くらいの同級生がやってきて、みんなで初日に数回見た。日本中がエヴァに狂っているように見えた。すべてがおかしかった。インターネットのおかげで、一昨年から昨年にかけてのハルヒブームは社会現象のように錯覚されるかもしれないけれど、中高生なんかはまだまだインターネットとは縁のない暮らしをしていた時代に、既成マスメディアを通じて本当に社会現象になったエヴァとは比較にならないと、三十路も近いぼくは思う。
96年夏の段階で『デラべっぴん』がいきなり極太明朝体バリバリのコアなエヴァ特集を組んだのを皮切りに、『Quick Japan』の背表紙で庵野秀明がウルトラマンのポーズを決め、『Studio Voice』の表紙にシンジ君が載って、そういうのの中ではトサカ頭のパンクや野球帽かぶったテクノがなぜかエヴァを語っていた。デリダ研究者の東浩紀とかいう『うる星やつら』ファンクラブ上がりの哲学者まで出てきて、『ユリイカ』やらなんやらでアニメの話をしていた(東氏も今では、コミケで挨拶して長話するような間柄だ)。ヘンなところでは、当時ネクラな中高生のアイドルは村崎百郎なる電波系鬼畜ライターだったが、彼が日課にしているゴミ漁りでエヴァを録画したビデオを拾ったばかりに、ロフトプラスワンのイヴェントで突如「シンジ君の魂の救済を云々」と語りだして客がドン引きした、なんてエピソードも聞いた。春エヴァ公開前夜にはNHKニュースで報じられたりもした。
なんだかすごいことが起こっている、と福岡の片田舎でぼくは手に汗握っていた。手に汗握って、4月の文化祭ではエヴァ上映会を決行した。エヴァキャラを描き起こした大量のポスターを校内に貼って回りながら、これではダメだ、と思っていた。東京に行かなければ。行って何をするのかまだわからないけれど、東京に行かなければ。だから東大に受からなければ。
けれど、あと1年くらいは高校生活を続けなければならなかったし、それは高校生活というより受験生活だった。そのコースから外れるという発想は結局なかったあたり、自分に自信のない学歴厨と言われてもやむなしではある。あるけれど、あの面白そうな東大に行きたかったのも事実なのだから仕方がない。ちょうどそのころの『ああっ女神さまっ』で、「面白そうじゃないですか」という螢一の一言で千尋先輩が独立を決意するというエピソードがあったが(うろおぼえ)、そんな理由で大学行ったって構わないじゃないか、と当時から思っていた。あいっかわらず勉強などかけらもしておらず、少しはマシになった成績も基本的に半分より下だったけれど。
それでも、形だけでも受験勉強っぽいことはやろうと思ったぼく、和田秀樹氏の『新・受験技法』を買ってきて毎日読みふけった。当時、東大前期試験におけるセンター試験は今より1教科少ない800点満点で、それを110点換算、二次試験の440点と合計した550点満点で入試を行っていた。和田氏は言う、センターなんぞ600点台後半あれば十分、何なら8割の640点でも構わない。二次試験に到っては理三以外、半分取れていれば合格する、と。文三の場合220くらいあればOKということになっていた。そして、受験勉強のタイムスケジュールと各教科ごとの必須参考書・問題集を挙げていた。
早速参考書と問題集を取り揃えたが、アホなことにそれらを所有した時点で満足してしまい、机の上の本棚に陳列した背表紙の列を眺めて悦に入るばかりだった。そして時々『新・受験技法』を読んでは早々に受かった気になり、前年の東京旅行の際に購入したガイドブックの地図を見つめては、いずれ生活するかもしれない東京のどこかの町並みに思いを馳せていた。『ほしのこえ』のモノローグにある、「夕立のアスファルトの匂い」「夜中のコンビニの安心する感じ」「遠くのトラックの音」のような抽象的な憧憬を、郊外ならぬ東京に抱いていたのである。あああ田舎者。ってか夢想する前に勉強しろ。
もちろんするわけがなく、ぼくはアニメと読書と絵描きと執筆に現を抜かしながら実力で模試を受け続けた。駿台・河合塾・代ゼミ、各2回計6回。ちなみにこれ難易度の順である。
結果から言うと、最後の1回以外一貫してA判定が出た。校内の成績は時々2ケタ台の順位が取れるもののやっぱり3ケタ台ばかりという状況でナゼこの判定??? と、ぼくも含めて誰もが理解に苦しみ、クラスメイトに責め立てられることさえあった。自宅での予習復習こそまったくしないものの、授業中だけはわりと熱心にノートを取っていたので、なんだかんだで本質的な内容は頭に入っていたのだろう、おそらく。とはいえ数学はミジンコ並で、国語・日本史・世界史・英語という文系科目で点を稼いでいる状況だった。数学教師は「きみは数学0点でも受かるから大丈夫ですよ」と言った。彼が体よく指導を放棄したのだということに、最近になって気づいたのだけど、ぼくはこの台詞を真に受けた。これだけA判定出ているならこのままやっていれば受かるだろうと思い、ライフスタイルをほとんど変えなかった。放課後はゲーセンへ行き、久留米中の本屋をうろついたし、帰宅すればアニメを見て本を読んで絵を描いて小説を書いた。一日3時間以上の自宅学習というのは、年が明けるまでまったくしなかったと思う。
例外として、ドイツ語はずいぶん勉強した。もともと語学に興味があり、中三のころふと気が向いたのでNHKラジオのドイツ語講座を聴き始めた。そのまま高一でドイツ語検定4級、高二で3級をとった。秋ごろ、検定試験の直前期にはみっちりと問題集をやり、学校でも現代文や英語の授業中にドイツ語のテキストを開いていた。ぼくのやることだから、と先生方に見逃していただいたのはありがたい。たとえば麻布のような、首都圏進学校のフリーダムさには遠く及ばないが、私立の進学校らしいおおらかな校風だった。頭髪規定が「清潔に保て」のみだったのをいいことに、ぼくも哲学ロッカーも髪を伸ばしていたし(もちろんぼくは完全に冴えないオタクの外見だった)、別のギタリストの同級生は腰までの茶髪をなびかせていた。まるでオタクではないそいつをはじめ、一般人の同級生ともけっこう話せたのは、ぼくがオタクではなく「ヘンなやつ」フォルダに入っていたからだろう。奇矯さにはそういうメリットもある。
夏休みに『新世紀エヴァンゲリオン 劇場版 THE END OF EVANGELION Air/まごころを、君に』、通称夏エヴァが公開され、日本中を狂わせたエヴァにケリがついた(と思ったんだけどなああああ)。2つの試写会が福岡で催されたが、ぼくは数十枚のハガキを送って玉砕した友人たちを尻目に、両方とも1枚ずつ送って当選してしまい、哲学ロッカーと一緒に見に行った。見終わって、庵野秀明にレイプされたような気分で、ほとんど叫ぶように語り合いながら夜の中洲を歩いて帰ったのを今でも覚えている。その後公開初日にも普通に並び、久留米のしょぼくれた映画館も含めて3回くらい金を払って見た。
あのラストに呆れたのか、エヴァ派の多くは潮が引くように興味を失い、現実に還ろうとばかりに受験勉強に戻っていったが、ぼくはもう人格レベルで捻じ曲げられてしまっていた。そのころ妙に情緒不安定で、やがて20代を棒に振ることになるメンヘルの兆候を示していたのだが、揺らぐ気持ちの拠りどころをまるっきりエヴァにおいていたように思う。皆さん、第三世代オタクのエヴァ厨は実在するのだ――おれがエヴァ厨だ。
ぼくは当時、岡田斗司夫の『オタク学入門』に感銘を受け、自分も彼らのようになろうと自覚的に振舞っていたけれど(おかげでこのありさまだ)、岡田氏や唐沢俊一氏が年少の伊藤剛id:goito-mineralをコケにしまくるのだけは我慢がならなかった。「シンジ君は僕だ」という伊藤氏の発言がずいぶん揶揄されていたが、正直言ってぼくも同じ思いだったのだ。その後伊藤氏には2003年のオフ会で対面し、『網状言論F改』に東浩紀氏と並んでサインをいただくことになるが、高校時代に知ったオタク言論人にお会いしてきた中で最も感銘を受けたのは、実は彼なのかもしれない。
ぼくはほとんど常に後者である。エヴァに参ったあと浮かんできたのは、自分もアニメを作ろうという考えだった。GAINAXへ行って、庵野秀明の後を継ぐ。これはエヴァよりもむしろ、レンタルして何度も見た『王立宇宙軍 オネアミスの翼』に奮い立たせられたほうが大きい。あの映画の画面じゅう、動画の一枚一枚、脚本の一言一句に横溢する「クリエイティヴな気分」に当てられてしまったのだ。ああいうものを見てやる気を出さないオタクはクズだと、今でも臆面なく言える。
しかし、気がつけばセンター試験が間近に迫っていた。数学はさんざやらされたおかげで、センターレベルならどうにかごまかせる程度の成績になっていたが、理科がまるっきり手付かずだった。文系はたいてい生物か地学を選択履修することになっていて、附設は珍しく地学に力を入れていたのでぼくも含めて半分くらい地学をやっていたが、マーク模試でも50点台しかとれず、いい加減対策を練らなければならなかった。高三になってから数学と英語のみ、河合塾の日曜講習を受けに行っていたが、年明けから地学の講習も毎日受けることにした。意図的に行った受験勉強らしい受験勉強はおそらくこれだけだ。2週間かけて、地学を頭から勉強しなおした。
で、河合塾でセンター試験を受けた。2日目はちょうど庵野秀明の実写映画『ラブ&ポップ』の公開日で、試験終了後、数学II・Bの理不尽な難易度で討ち死にした同級生たちが咆哮を上げているのを尻目に、ぼくと哲学ロッカーともうひとりで中洲の映画館まで見に行った。こんな受験などさっさと終わらせて、一刻も早く東京へ行かねば、という思いは募るばかりだった。何のためにわざわざ東大を受けるのかなんてのはもはやどうでもよくなっていた。実は年末の駿台の東大模試でC判定が出てしまっていたのだけれど、それまで5回A判定出てるんだから大丈夫だろうと高をくくっていた。
さて、和田秀樹氏の教えに従ってセンターは640点取れればいいやと思っていたが、結果はたしか681点だった。可もなく不可もなく、ただし2週間勉強した地学は100点。我ながら驚いたし、生物で苦戦した級友には切れられた。ぼくのやることなすこと本当に無駄が多いのだが、このときばかりは要領がよかったのかもしれない。
それからの1ヶ月をどう過ごしたのかはあまり覚えていない。アニメを見続けて本も読み続けたことは確かだ。何かを我慢するという回路が、ぼくの脳内にはまったく形成されていない。
とまれ。1998年2月下旬、雪の積もる東京に1年半ぶりにやってきたぼくは同級生たちと池尻大橋のホテルに宿を取り、二次試験を受けた。いわゆるエヴァ派やオタク仲間連中の大半は九州大学や地元私大の受験組で(あの哲学ロッカーもそうだ)、もともと学業優秀な連中に混じってひとり場違いなぼくがいるという感じだったが、この世に生を受けて以来常に場違いなので今更気にもならなかった。そうして初日……出来はひどく悪かった。数学は15分眺め、ちょろちょろと書き込んだだけで放棄し、あとは見直しもせずに問題用紙の裏に絵を描いてすごしたのだけど、国語の手ごたえがよくなかった。国・数合わせて70点程度しか取れていまい(配点は国語・英語120、数学80、地歴60×2科目)、明日140ないし150は取らないとおれは終わりだと、このときはじめて不安を覚えた。受験において感じた、最初で最後の不安だった。
その夜、部屋のテレビをつけると深夜アニメを放映していた。『吸血姫美夕』と、再放送の『機動戦士ガンダムZZ』最終話1話前だった。面白かった。面白かったあまり、不安があっさり吹っ飛んで逆に元気が出た。96年ごろから深夜アニメはぽつぽつと現われていたが、まだまだテレビ東京1局か、せいぜいテレビ大阪も含めた2局でしか放映しておらず、地方民はアニメ雑誌に載る『EAT-MAN』や『剣風伝奇ベルセルク』の記事を指をくわえて見ているしかなかったのだ。それらを見るためにも東大に受かって東京へ行かねば、と思っていたぼく、深夜アニメの実物をはじめて目にして発奮したのである。
これだ。これを見なければならない。4月から新番組も始まるし。おれには志あるアニメを見る義務があるし、よいアニメはおれのような志あるオタクに見られるべきだ。ならば、毎年3000人も受かる大学におれひとりが受かる程度のこと、明白なる天命ではないか。
で、試験二日目。英語が異常なほど簡単だった。どう考えても110点以上取れた自信があったが、おそらく100点越えが続出しただろう。日本史・世界史においても好調で、合わせて100点は取れたはずだ。今ならやる夫のAAを貼りつけたくなるほどの大勝利であった。ちょうどそのころ行われていた長野オリンピックになぞらえて、「初日は原田雅彦の1回目失敗ジャンプ、二日目は2回目のK点越え大ジャンプだ」と当時豪語して回っていた。ヤなやつだな。
3月初旬、卒業式のあと天神へ打ち上げに出かけて深夜1時ごろ帰宅し、泊めた友人2人ともども母親に殺されかける(翌日、お詫びの電話を入れてきた友人の母親に『ウチが母子家庭だからと馬鹿にしているのか!』と泣きながら怒鳴っていた。こういう親を持つと苦労する)というエピソードがあったものの、9日に東京入りしたぼく、翌日本郷キャンパスの掲示板で合格を確認した。二次試験の手ごたえから合格をほぼ確信していたのでまさに確認作業であり、「フム」と一言呟いて写ルンですで撮影していると、不審に思ったらしい胴上げ隊の人々に「受かったんですか?」と訊かれ、イエスと答えるとたちまち囲まれて空中に放り投げられ、ああ本当に胴上げされるんだなあと至極冷静な感想を抱いた――という話をたまに知己にすると、その反応が実にお前らしいと言われる。そういうものか。
手続きの時点でクラス分けが行なわれ、4月に入ると同じクラスの2年生によって歓迎コンパが催された。オリエンテーション合宿の前に行なわれるという意味でプレオリと呼ばれるこの飲み会、たまたまぼくの真向かいに座ったメガネの優男がオタク寄りな文芸サークル・新月お茶の会の月無朔夜氏で、彼とすっかり意気投合したぼくはコンパ後連れ立って、お茶会の例会が行なわれている下北沢の喫茶店へ向かった。隙あらば己をアピールしようと肌身離さず持ち歩いていた『万年ビーフ』掲載原稿や小説の設定資料を自慢げに開陳し、「きみはまさにこのサークル向きだ!」と、やたら貫禄ありそうなメガネのひと(7年も駒場にいて卒業したばかりの大御所だった)に太鼓判を押された――のが、10年後の今でも毎週のごとく例会に赴くお茶会との付き合いの端緒である。オリ合宿では月無氏ともども早くも勧誘側に回り、「ねえきみ小説とか興味ある?」「文芸サークル入らない?」と地味めの女の子を囲んだ挙句、ルビー文庫を愛読する腐女子だと判明して玉砕したのも、今は昔。今じゃあコンパ長がリア充系オタクだったり、クラスの取りまとめ役が腐女子だったりするらしいからなあ。
数日後、サークルオリエンテーションが2日にわたって行なわれた。本命はあくまでアニメ研だったぼく、本来理系の日である初日に駒場キャンパスの1号館に乗り込むや、まっすぐアニメ研に突撃。こう宣言した。
庵野秀明の後を継ぐ野望は本気だったのである。アニメ研の人々、目を白黒させていた。一日中スペースに居座ったぼく、翌日もまたやってきて口角泡を飛ばしたため、なんだかとんでもないのが来た、と先輩方の間では話題になったらしい。先日アップした「それは上澄みだ。」のコメント欄には、当時応対した先輩のひとりの感想が残されている。
周囲にひどく痛がられつつも、1998年のぼくはアニメ鑑賞とアニメ制作に没頭した。たとえば佐藤竜雄監督などを輩出した早稲田大学のアニメ同好会とは違い、東大のアニメ研はアニメを作りたいやつなどほとんどいない「見る専」のサークルだったのだが、そんな空気など読めるはずもなく、おれが監督をやるからお前ら原画描け動画描けとわめいていた。先輩までふんづかまえて。結果、1998年から1999年にかけて2作半を自ら監督し、その後も2001年冬ごろまで5作くらいに、編集協力・ED作画・背景といったクレジットでかかわった。そんなことをやっていたものだから、サークル内では「カントク」というあだ名がついてしまった。最近そういう名前のイラストレーターを見かけるようになって、その名前はおれが先につけられたんだよ! と内心思うことがあるが、意味はない。
返す言葉もない。見合う結果を出してはじめて、誇大な夢だの目標だのは語るに値する。オネアミス作ろうと言いながら乗り込んできて、作ったものが色もついていない5分程度の自主制作アニメ数本では失笑にも値しない。その後一枚絵に興味が移ってCGイラストと同人活動に打ち込み、そっちで一度はプロデビューした……というのはやはり、言い訳の一種ではあろう。2003年に、小川びい氏に誘われたアニメスタイルのイヴェントでGAINAXの今石洋之氏(『天元突破グレンラガン』監督)にお会いする機会を得たのだが、およそ物怖じというものをしないぼくがこのときばかりは恐縮した。というより、すでにアニメ制作から離れていたことが後ろめたかったのである。
引け目だ。イラストの挫折と7年に及ぶメンヘル生活を経て、今でこそアニメ雑誌で文章を書き、業界の端っこでほんのわずかながらお力添えさせていただいているつもりではあるけれど、結局作り手に回れてねえじゃんという引け目はやっぱりある。自分にはできない、そんな能力がないからすっぱり諦めたのだとは思っていない。思っていないけれど、それなら何か作るしかない。作って世に問わない以上、ないものと同じだ。
id:fromdusktildawnは思想的に宿敵だが、ひとつだけ心の底から共感できる記事がある。「「好きを貫く」よりも、もっと気分よく生きる方法」ってやつだ。あんな感じに、ぼくも気の赴くままにいろいろなことをやってきた。金にはならなかったけれどアニメを作って多少の評価は得たし、はした金ではあったけれどイラストとマンガで収入を得た。で、いまは文章を書いてお金をもらっている。ごくごくごく狭い範囲ではこのブログ、評価もされているようだ。たまに絵も描くし、たとえばアイマスキャラを使ったアニメの構想は常にある。
それでも――こんなやつでも生かしておいてほしい、と思う。社会の皆様。生産性の低い、どうしようもなく無駄な、歯牙にもかけられない人間だけど、読んで面白い文章や見て萌える絵くらいは現状でもわりと生み出せるのです。オタクがらみなら少しはお役に立てる、実用性のある記事が書ける自信はあります。あいっかわらず、将来クリエイティヴな方向でビッグになる妄想だけは持っています。もしかしたら実現するかもしれません。たぶん素質はあると思うから。
だから、クソみたいな自意識と自己顕示欲と承認欲求に取りつかれた負け組のぼくみたいのが、こうしてはてな村の片隅で過去のデタラメな人生を綴っていても、勝ち組ギークの陰にこういうのがひとりくらいいてもいいか、くらいに思っていただけると嬉しいのです。
ここ数年、高校の後輩がサークルに入ってくることがしばしばある。アニメ研の9年後輩にもいる。彼の担任はかつてのぼくの担任だった。初対面のとき、この後輩にぼくの昔話をしたところ、「有村悠」という名を担任から聞いたことがあると興奮気味に語ってくれた。お前みたいなやつが昔東大に行った、と。
複数の恩師の口の端に今でもぼくの話題が上るらしい。別の恩師は、「アニメをやりに東大に行ったひとがいるんですよ」と授業で語ったそうだ。
*1:1999年3月の、能登半島沖に出現し、巡視船や哨戒機の追跡を振り切って逃げていった北朝鮮工作船をネタにした作品。6人くらいに『妨害を乗り越えて逃げる船』をテーマに好きに描かせて、スキャン後Adobe Premiereで適当に編集した。ぼくが担当したのは、つなぎの疾走する工作船2カットと北の偉いひと、地図、あと最後の∀ガンダム出現→工作船と一騎打ち→爆発のパート。個人情報保護の観点からぼく以外のスタッフの名前にモザイク処理を施したが、おかげで異常に自己顕示欲の強い動画になってしまった……。
「努力はしたが駄目だった」という「結果」を評価しても良いという文章が最近読んだ小説の中にありました。好きなことに全力を出したのは来たことはすばらしいと思います。それに加え「東大に行った」「文章を書いている」といった結果を残しているなら人間として既に十分だと思います。好きなことにすら全力を出していない人間の方が多いのですから。
アニメ見ました。技術的な面ではもちろん見るべきところはないんですけどそういったものを超越したもっとプリミティヴな「衝動」というのでしょうか、言葉にはできないけど本質的な部分に熱いものを感じて、底抜けの明るさに少し涙腺が緩みました。で、こういう作品を作れることや、多方面に興味を持ってそれなりの物を作ることができるというのはやはり才能なのだと思いました。社会的には負け組でも、こんな才能をもった有村さんが僕は羨ましいです。本当に。
東大卒なんだ。長い文章だったけど全部読んだよ。文面を見る限りは天才肌だね。でも、学歴には意味はないかもしれないけど、その知性には意味があると思う。世界を理解できる知性。うらやましい。
楽しく文章読ませてもらいました。分野は何であれ、自分に素直に生きるっていうのはいいですよね。大学も多様性があるからいいですよね。なんかいろいろと面白い人に出会えそうな気がする。…と、まぁまだ受験生なんですが。自分に素直には生きていきたい。( ´∀`)僕もこれからその路線で(ry。
#匿名希望さんそーですねえ。成功したことのみが「結果」じゃないんですよね、語義的にも。あとまあ、結局のところ自分の人生が失敗したとはまるで考えていないのです。それはそれで危機感なさすぎなのですが。#社畜さん作りたいから作るもんですよねこういうのは。少なくとも当時ぼくたちはそうやって作りました。性質は変わったかもしれないけれど、そういうものがいまやニコニコ動画に日夜アップされ続けているのはとてつもない幸福だと思うのです。幸福の総量は増えていると思うのです。基本的には。#オレドコさんイエー。二日かけて書きました。どっから来たんだろうこの情熱。#jaggingさん楽しく読んでいただければこれに勝る喜びはございません。どんな環境だって、面白いひとはたくさんいます。高等教育機関だとその割合は高いみたいですけど。そういうひとたちと交流することこそが、わざわざ大学なんぞへ行くことの本当の価値だと思うのです。受験がんばってください。ここは初めてか? 肩の力抜けよ。#udzuraさん愛してる。#Kounoさんヒナギクは俺の嫁
私は有村さんを二周りばかり小さくしたような人間です。子供の頃からアスペルガー的傾向があって、いじめを理由に私立を勧められて受かった進学校でTRPGにはまり込みました。ラノベも山ほど読みました。但しはまり方が有村さんよりは緩やかで、頭もそれほどよくなく、東大や京大に行こうという動機も薄かった(もちろん勉強もしなかった)ために浪人しています。私にとって東大チュートリアルのかわりになったのは現役の入試日に京大でもらった学寮の入寮案内でした。浪人してからは夏休み半ばまで遊び、その後必死に勉強して京大に入れたのですけれど、結局今はメンヘラになってバイトをしつつ遊び暮しています。一番好きな遊びは今でもTRPGで、勉強を役立てた経験の半分くらいはこれでしょう。文章は大変面白く読ませていただきました。アニメは、本当なら作りの雑さが目に余るはずなのですがなぜか変な勢いというか力というか、そういうものを感じて(思い出して)、これもまた楽しませていただきました。ありがとうございます。
これまで、ここの記事を読むにつけ、「有村 悠」氏は自分の知り合い(同級生)なのではないか、という思いがなかなか拭えないでいたのですが、今回の記事で高校の所在地についての記述や細かいエピソードを読んで、漸く、別人物らしいと、納得することができました。それはそうと、この記事で語られている90年代後半の雰囲気は、僕自身もまた同じような年齢のときに触れているので、自分と少し違う立場の人による回想を読むと、あぁ、こういう時代だったのだなぁ、と時代を(局所的に)立体視した気分になって、胸が熱くなります。それが良いものだったのかどうかは不明なものですが、視野が狭い一生徒にとっては紛れもなく現実のすべてだったその雰囲気を、今日、擬似再観測できたような気がします。(つまり、他山の石にさせていただいた、ということですが、それだけに留まっていないのも確かです。)アニメは・・・、ごめんなさい、もう少し覚悟ができたのちに拝見いたします。いますぐ見ると、精神が不安定になりそうな気がしておりますゆえに。
ども。トラバされてたので来ました。いろんな意味でぼくに似すぎなので、もはやどんな顔をしてればいいかわかりませんでしたよw 模試だけは異様にいい点取れたりとかさ。
この流れにToHeartあたりが出てこなかったのがちょっと不思議でしたが….微妙に時代がずれているのか,そちらには目がいかなかったのか,当たり前すぎて書かれなかったのかは分かりませんが.#ななな さん京大の学寮パンフはどこのでしょう? 熊野だったらうれしいかな.(すみません,y_arimさん.コメント欄を勝手に使って.)
驚くほど境遇が似ていたように感じたので記念カキコ・小学校時代問題児・中高大学一緒・中学高校はひたすらSFとTRPGにはまり異端生活・学内定期試験では3桁の成績だけど外部模試はA判定・大学卒業後、就職もせずに社会からドロップアウト今では田舎で半農生活中。ある意味、よくあるタイプの生き方なので、行く先々で似たような境遇の人と会うことが多いです。自分も含めて、KYで自分自身に忠実過ぎる人(≒わがまま)ばっか。
こうして見ると、東大の文系と理系は同じオタでも随分世界が違うよね、と思わないでもない。理系だと「オタは非効率的だから止めるべきである、しかし自分が受けた教育のゆえに病めるしかない」と苦しみながら自己否定を繰り返すばかりだったり。そのため理系のオタは本業を持ちながらゲリラ的に創作発作に襲われる突発同人症候群に陥る一方で、東大文系オタは(理系から見ると不可解なことに)そっち系の仕事を本職・天命と覚悟して(理系には失礼ながら往々にして見誤っているだけに思えるが)ベット高めの賭けに出てしまう人が少なくない。そういえば駒場時代は新月お茶会=生協に積んであるゴミみたいなゲスプリ本作ってるとこ、という認識しかなかったものだが、実は東大内オタの巣窟だと後になって知った。てっきりサークル大都会の方がそれかと思っていたのだけれども(晴海的知名度から)。
なるほど読ませる文章とはこういうものか。最後まで興味深く読めてしまった。同年齢だからかもしれないけど。就職環境では酷い目にはあうもののゲームやアニメの黄金時代に学生時代に立ち会えた幸運に感謝したくなった。
文章をhtmlで保存するのは久しぶりですそれぐらい僕は感銘を受けましたそう遠くない未来にあなたが作り手に回り素晴らしい作品を作り上げてくれることを身勝手ながら応援しています
文章は20行くらい読んだトコで挫折しました(私の読解力やら気力やら根気やらが足りないんでしょたぶんw)東大にわざわざいかなければ学べないアニメの何かが何なのかがちょと気になったりシテ

 

[ 487] ベア速 無駄知識を語っていけ
[引用サイト]  http://vipvipblogblog.blog119.fc2.com/blog-entry-201.html

クマバチは航空力学の面から見ると飛べない。
日本のリニアは時速200kmまでタイヤで加速する
昔の電話は電源いらず
コンクリートは水分を含むと強度が増す 50倍
熱した鉛に指をつっこんでも一瞬なら大丈夫
陰毛は恥骨骨折を防ぐ為にある
鳩は首を動かしているのではない
車輪のついた物体を動かす力は動かす物の重量の1/10
大気圏突入時には摩擦で熱くなるのではない
人工衛星は使い捨て
ジュラ期の重力は現在の1/3と推測
富士山頂の時計と東京の時計は重力ポテンシャルが違うので若干ズレる
「着色料ゼロ」は別に嘘じゃない。
正確には「合成着色料ゼロ」って言ってるから。
自然由来の物で食品への添加が認められてる物は
着色料も保存料も色々使ってるよ。
そうでなけりゃ見た目も悪いしすぐ腐って売り物にならん。
銃声は弾丸が音速を超える際に発生する衝撃波の音
電子が物体を移動する速度は0.1cm/s
ブリジストンの名前の由来は石橋さん
平常時に片方垂れている方の金玉が主、もう1個は予備
タンカーの船底の大半はバラスト区画
ハエの映像処理能力はハイスピードカメラ並
鳥は人間の数倍の色を識別できる
昆虫が飛べる理由はあまりわかってない。
昆虫は何もない場所から突如として出現した事になっている
折り紙の金色は銀色にオレンジの溶液をコーティングして作る

都市伝説とか、確証が無いことも含まれていたり、
逆に、確証が無いだけの事を完全否定して書いてたりするな。
米18
もう原木切っちゃったらしいね。
「そんなんだからいつまでたっても田舎なんだ」って松戸出身の母ちゃんが言ってたわ。
わざとなのかわからんが
誤解を招くような書き方をするのはどうかと思う。

東京の地下にはリニアモーターカーが走っている。
摩周湖は法的には湖でなくただの水たまり
トランプには昔税金がかかっていた スペードのAの模様が派手なのはそのなごり
ウグイス色は実はメジロの色
サハラ砂漠の「サハラ」は訳すと「砂漠」という意味
ゴビ砂漠の「ゴビ」も砂漠という意味
カフェオレの中でもエスプレッソコーヒーとミルクを混ぜたものが「カフェラテ」
オリンピックで人気のある陸上競技が最後なのは、客を閉会式まで引き止めるため
長崎の平和記念像のモデルは力道山
「ニイタカヤマノボレ」の新高山は当時日本国領内一の高さだった台湾の玉山のこと
世界中でパラグアイの国旗のみ裏表の絵柄が違う
ミッキーマウスに最初に声をあてたのはウォルト・ディズニー本人
生身で宇宙に放り出された際の死因は窒息ではなく
圧力低下により血液が沸騰、蒸発する事による
ミイラみたいになるらしい
この前カウボーイビバップ観てたらスパイクが息止めて宇宙に飛び出たが、あれはあり得ないみたい。。

人体の骨は206個だが、俺は207個ある

言ってしまえば奇形
取敢えず
>>30は違う。鮮度関係ない
含まれるクロロフィルが日光に当たることで毒成分になる
だから毛が薄く、毛細血管が多い耳で毒成分が作られて耳が壊死したりする
*33
皆既日食に星の大きさは関係ないぞ。
観察場所が衛星の影に完全に含まれるか否かだから。

地球型惑星で(皆既)日食が観察できないのは
衛星が存在しない場合のみ。
あ、衛星が小さすぎると影が出来ないから日食無いか?
(人工衛星で日食は起きないし)

あと、太陽と月の視直径が同じなのは単なる偶然。
月は誕生以降ずっと地球から遠ざかり続けているので、
かつて月は今よりもっと大く見えたし
遠い将来月は今よりもっと小さく見える。
三毛猫のオスは、生まれてきても遺伝的に欠陥あるから繁殖能力はないらしい。

でも、前繁殖能力を持つ三毛猫のオスが紹介されてたな。
市場価値は3000万だとかなんだとか。
三毛猫の原理から、そもそもメスしか生まれない
オスの三毛猫は染色体異常の猫

毛の色を決定する染色体は性別を決定する染色体と同じ所にある
XX染色体とかXY染色体とか言われてるやつ
そのX染色体に毛色の情報が含まれている

オスはXYだけだから1種類、メスはXXだから2種類の色を持てる
よってメスは三毛になるがオスは三毛にならない

ところが極稀に染色体異常でXXYの猫が生まれることがある
いわゆるクラインフェルター症候群
この場合、Y染色体を保持している為に体はオスとして作られ、
そしてX染色体が2本あるから、三毛になる事がある

クラインフェルター症候群は人間にも中々の確率(1/500程度)で
発生する染色体異常であり、不妊や学習障害を起こす事が多い
猫であっても例外ではなく、生殖能力が欠如している場合はほとんど
とりあえず鵜呑みにしやすいアホウな俺にはどこからどこまでが嘘か分からんだぜ…

>>198〜208
のウォーリーはガチで犯罪者なのか?
だとしたら偽ウォーリーとか同じく赤と白の縞模様の服を着ているウォーリーファミリーだとか言う人物とか白ヒゲは何なんだ…?

飛行機が飛ぶ原理は分からないってやつは前にも雑学スレで見たんだけど
その時はそれは嘘ってことになってた気が・・・。本当はどうなの?
なんか嘘が多いな
特に516のファイブミニの着色料の話は嘘
虫から取れるだけでそんな虫ばかり使ってたらコスト高くなるから使えない
ファイブミニやかまぼこがえらい高騰することなる
健康増進法の基準では、食品100mlあたり5カロリー未満であれば、「カロリーゼロ、ノンカロリー」
と表示して良い事になっているので、これらが表記されてる食品の中には正確にはカロリー0でない物もある。

同じ様に「ノンアルコール」も酒税法上、アルコール濃度1%未満は清涼飲料水扱いになるので、
「ノンアルコール」と表記してよい事になっている。
だからノンアルコールビールなどでも飲みすぎれば酔っ払う事もあるし、飲んで車などを運転すれば
飲酒運転に引っかかる可能性もある。
ラジコン飛行機は翼の形は上下で対称なんだって。それでも飛ぶ。
考えてみりゃ紙飛行機なんて翼はまっ平らだもんなぁ。
やっぱ翼の浮力だけでは説明できないんだろうか。
>クマバチは航空力学の面から見ると飛べない。
これって飛行機とかと同じように考えると飛べないって意味で、
クマバチは他の原理で飛んでるからOK

大航海時代に初めて南米から持ち出されたものをクレオパトラがどうやって飲むんだよw

日本人のほとんどの人の耳垢は乾燥型じゃボケ。お前は欧米人かw

どうも故意なのか天然なのかわからんね〜。
コチニールに発ガン性があったらカンパリオレンジとかとっくに世の中から消えてるよ。
月の400倍の太陽とか、バカな。(笑)
ガセビア多すぎワロタwww

商品に使われてる原材料は、含まれている料が多い順に書かれている。 その商品当たりか、全体なのかはわからん。

ライト兄弟より先に飛行機を作った人は日本人。

そして関係あるかどうかは知らんが、飛行神社と言う神社が京都府八幡にある。エンジンが置いてあった。
>>154ってマジ?
学校のクリスマス会とかそういうのは「明らかに宗教的利益を目的として行われていないもの」として扱われるから問題ないとか聞いたことあるんだけど
実は人類の進化ってのは分かってないのが多い
一般的には原人から新人になったと言われてるが事実無根らしい
うたわれるものでそれらしきものを見てwikiで調べただけだけどなww

世界で貧困にあえいでる人口と、車に乗ってる人の人口はほぼ同じ
地球から木星までは8億km 木星の磁気圏は7億km
かな〜
温暖化について。
温暖化して海の水位が上昇することはありえない。
これは化学で証明されている。知らない人間はただの無知。

ちなみに温暖化や、地球のことについての化学的には
ひとつも立証されていない。要は摩訶不思議。

それぐらい地球のことをわかってない人間って・・・。
トリビアであったが、ハーゲンダッツの工場は全世界で3箇所だってな。
アメリカ西海岸、フランス、そして日本の群馬県。
>83

考古学会では、すでにダーウィンの進化論が信じられていないのは
常識です。

まだ創造論者と進化論者の決着はつかないようだ。
まあ、進化論者が遺跡やらなんやらについてずっと無視しているから
だけどね。

福沢諭吉が”学問のすすめ”に
「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」
とかいて平等を訴えたというのは嘘。

その後ろに「といわれているが、実際はそうじゃない。不平等なんだ。じゃあどうするかってーと勉強しか平等への道はねぇ」ってな感じのくだりがついている。

つまりおまいら勉強しろってこと
>85
温暖化して海の水位が上昇することはありえない

これは北極などの氷が溶けても って意味だったはず 氷が溶けても水位は上昇しないが水温の温度上昇によりに結局水位は上昇する。
※88
ちょっと違うんじゃないか?

「といわれているが、現実には金持ちも貧乏人も、賢人も愚人もいる。その差は何かっていうと、勉強したかしてないかの違いだ。お前らも、金持ち・賢人になりたいだろ?なら勉強しなYO!」
ちなみに諭吉は、娘の彼氏が結婚の許しをもらいにきたとき、「身分違いだ!お前なんかに娘はやらん!さっさと帰れ!」といって結婚を認めなかった。
>131

スパイしてたのはモー・バーグって選手。平凡ではあったけどホワイトソックスの捕手だったから野球選手じゃないのは嘘。20ヶ国語喋れたエリート中のエリートだったらしく、周囲の人達に「なんで野球なんかやるんだ?」と言われてた。
ドラゴンボールZのオープニングテーマの時に出る太陽の映像で、太陽から火柱みたいなのが出るんだけど、太陽の表面から火柱の頂点との距離は地球10個分。

太陽マジでかい・・
なんか適当だな・・
補足知識・・

カカオはおいしかったからではなく、現地にはいった軍隊が飲んだら
指揮が上がった為(カフェインの影響)軍隊が飲んでいた
飲みやすくするために工夫され甘くなった

耳垢についての豆知識・・ドライは腋臭(ワキガ)にならない
ウエットのみがなる。わきが臭い人はウエットタイプ

蟻について・・蟻に視力はない。匂いと触覚で行動する
前方の蟻についていけるのは個々の蟻が匂いを出している為

保存料、着色料なしの表記・・ある一定の基準以下だと表記できるのでゼロではない。ちなみにカロリーゼロもほとんどウソ

また一部イチゴミルク等の赤色着色料は虫からできている
(サボテンに寄生する小さな虫)身体に害はない

マイナスイオン・・身体にいいと言い出したのはインチキ番組
「あるある大事典」根拠はいまだ解明されていない
地球温暖化とかも本当か嘘かよくわからないよね。
ここ何十年とか百何年かで気温が上がり続けてるっていっても、それ以前がどうだったかなんて記録はないから、一度下がった温度がまた上がってるだけかもしれないし
人間だって体温が変動するくらいなんだから地球の温度が変動したって何も不思議はないと思う
でもマイナスイオンのドライヤーって
普通のドライヤーより明らかに髪がさらさらになるんだけど。
あれはなぜ?
世界最大の保険組織であるイギリスのロイズ保険は、生命保険は扱わない
マンガ・マスターキートンの第一話の描写はいきなり大間違いw
クマンバチは確か、空気を羽でかいて、自分のななめ下あたりに気流を作って、それに乗って飛んでるって証明されたんだぜ
まず、整数0に対して、自然数1を対応させる
次に、正の整数nに対して、自然数2nを対応させる
さらに、負の整数mに対して、自然数-2m+1を対応させる
そうすると、任意の整数に対して1対1に対応する自然数が存在する
故に、整数と自然数の個数は等しい

というのを今思いついたんだけど、あってるのかな?
161については疑問が残る。重罪というのは言いすぎ。
もうちょっと調べてみたほうがいいんじゃね? と思った。そういう考えもある、程度。
あ、すでに※77が言及してたw
俺はそういう考え方のほうがいいと思うな。何でも出来ないじゃなにもできない。
まぁすまそ。
>>122
というか、オナニーした後は毎回しょんべんに逝きたくならないか?w

マイナスイオンの話だが、体にいいとかそういうのは科学的には
立証されてないが、埃とマイナスイオンがくっついて空気を
綺麗にするとかっていうのは正しいんじゃなかったか?
米125,126
仮にマイナスイオンが存在するとしたら、その場合プラスイオンの存在する可能性も高い
要はマイナスイオンを発生させれば同時にプラスイオンも発生している可能性がある
クマバチは飛べないとか
恐竜は走れないとかは古く誤まった知識。

ハチの飛行は最新の航空力学では解決されているし、
恐竜が走れないとするのは筋肉の質をワニと同等で計算するという愚考の故。
米88

いや、あれは「後進国と先進国の違いは学問の有無。だから鬼畜米英どもに侵略されないようにお前ら勉強しる」だったはずだ
米114
それだとサイレンサーはどうなるんだよって話になるだろ。
たしか弾丸が飛び出るときの気流の関係で空気がはじける音だった気がする。
サイレンサーは中にいくつもの仕切りがあって音が鳴るほどの気流を生み出さないようになっている。
弾丸が音速を超えればサイレンサーを付けていても音は鳴る。
日本で最初にクリスマスを理由に休戦を命じた(あるいは応じた)という珍しい記録も残っている。それは永禄9年(1566年)のことであり、久秀が三好三人衆らと争っていた頃にあたる。

だってー。

>>679>>692にプラス

リンカンの任期を引き継いだ大統領はジョンソン。ケネディの任期を引き継いだ大統領も同名のジョンソン。その二人のジョンソンの生まれた年は100年違い。リンカンの暗殺犯ブースとケネディの暗殺犯オズワルドの生まれた年も100年違い。暗殺後、ブースは劇場から逃走し倉庫で捕らえられ、オズワルドは倉庫から逃走し劇場で捕らえられた。そしてブースとオズワルドはどちらも裁判が行われる前に暗殺された。

俺の知識ではこんなところかな
北極の氷が溶けたり温暖化で水が膨張するのが原因じゃないんなら、ツバル島が昔に比べて何度も洪水に見舞われるようになったのはなんだなんだぜ?
米133
?
サイレンサーは発射ガスが銃口から出たときに出る音を減らすものでしょ?
それ以外は米114の言ってることと矛盾してない気がするけど
ハエには単為生殖で増えるものもいる。イエバエの一種は体内に子が発生し、親の体を喰いながら成長する。子が外に出る頃には親は内側を喰い尽くされて皮だけ。そしてその子の中には既に新たな子が発生している。
タラバガニはカニじゃなくてヤドカリ。
クマバチなんかが航空力学的に飛べないというのは半分嘘。別の方法で実証された。
クマバチ≠クマンバチ。名前が似ているので混同しやすいが、クマンバチはスズメバチの別名。クマバチに猛毒は備わっていない。
一般的に嫌われている家ゴキブリは全体の1%未満。
対スズメバチ用の必殺技「蜂球」が使えるのはアジア産のミツバチだけ。
ゴキブリの不潔さは人間の手のひらより不潔ではない(個体差あり)
偶像崇拝は、旧約聖書では明確に禁じられているが、クルアーン(コーラン)ではそのような表現は特にない。
ハディース(預言者ムハンマドの言行録)のレベルでは、ムハンマドの幼な妻アイシャが人形をもっていたが咎めなかった、という話がある。ただし、ハディースは地域ごとに違うことがあるし、ある時期から加えられた偽のハディースというべきものもあることに注意。
赤い色を染める染料の一つであるコチニールは虫。
見かけは小さいダンゴムシっぽい。染めるとすごいキレイな色だけど、虫だからちょっと触るのに勇気がいる。
発がん性云々が多いな
そんなもの塩にもあるし、肉にもあるし、野菜にもある
発がん性の有無なんて意味がない
問題は毒性の強さ
↑の方で飛行機の飛ぶ原理について言っていたが
ラジコン飛行機や紙飛行機を例にだすのはあまり適切では無い。
ただ「飛ぶ」と言ってしまえばロケットも入ってしまう訳で
この二つはどちらかといえば「推力」で強引に飛んでいる部類に
入るわけです(本体の軽さに比べて圧倒的て意味でね)
ちなみに現在では推力>翼の揚力という結論がでており
最新鋭のジェット戦闘機ではエンジン切るとまともに滑空飛行
出来ない機種もあるとか・・
>>63のカーディガン卿はイギリス軍人だな。
おまけに、クリミア戦争で活躍したどころか
ロシア軍の砲列に軽騎兵旅団のみで突っ込んで
戦史上記録に残る損害を出している。
どちらかと言えば実戦経験皆無の無能な指揮官なんだよな。
人間は一度水に入ってまた陸に上がった霊長類だという説がある。

根拠は体毛の消失とか手指の水かきの名残とか下向きの鼻孔とか
>>745
整数と自然数の濃度は同じでも有理数は違ったはず。
有理数に自然数で番号を付けていくと、その番号付けから漏れるやつが少なくとも1つあるってカントールさんが言ってたような。

※107
過去の地球の気温は木の年輪やら南極のコアの水の質量で大体わかるらしい。
地球温暖化の件。

水位上昇
「南極大陸の上に乗ってる氷」が海に流れ出して云々って話だった筈。
北極の氷は始めから海に浮かんでるから融けても問題ない。

温暖化
確かに酸素よりは二酸化炭素の方が比熱がでかいかもしれないが、もっと根本的なことがあるだろうと。
ヒーター焚いたりとかヒーター焚いたりとかヒーター焚いたりとか。
*188
ちがう。有理数と自然数は1対1対応できる。分子と分母
を1から順番に並べればすべての有理数がつくれるから。
対応させられないのは無理数で、これは言う通り対角線論法
で対応にもれがあることが証明できる。
ちなみに無理数よりさらに1ランク「多い」無限、さらに
それより「多い」無限など、無限の系列じたいが無限にある。
アニメ『ガンダム』でリアルじゃない! と言われている
・OP曲の歌詞
・地球で平然と飛べるホワイトベース
・エルメス等のデザイン
これらは全て監督が自分で手がけたもの
ちなみに監督本人はリアルアニメを否定している

米34
空気漏れして乗組員が生身のまま死んだ宇宙船を調べたところ、別に血が沸騰なんかしてなかったらしい
あくまでらしい、だけどね
※193
温暖化に関しては、
海水に浮いている氷(主に北極など)が溶けても海水面上昇はないと言われている。
陸地の上の氷(主に南極とグリーンランド氷床、その他氷河)が溶けると海水面が上昇すると言われている。
そのほかに温度上昇による海水の膨張によっても海水面上昇が上昇すると言われている。
一方で温度上昇に伴って蒸発する海水の量が増えるため、その分は海水面が下がるという説もある。
スレにもあったが地球内部吸い込まれることで海水面が下がる(干からびる)という説もある。

現時点では要因を全て特定することも、それを観測することも、正しい予測をすることも不可能だから、あくまでも「温暖化によって海水面が上昇する可能性がある」程度にしか言えない。
マイナスイオンなんてものは存在しない。
誤解が無いように書くと言葉として存在しない。
今では陰イオン(又はアニオン)って正式名称が一応ついてる。
対になる存在はオゾンだ。
陰イオンを発生させると同時にオゾンも発生するわけだから濃度が
濃くなればもちろん有毒になるぜ。
ちなみに日本でこれの安全な発生装置作れる先生は一人しかいないと言っておく。
大手メーカーの製品はどこもその先生の装置。
天皇は東京に行幸してるだけ、とかいうやつだろ?
別に法律で首都定めてるわけでもないだろうし、
元首がいて行政府があったらそこが首都だよ
普通に東京
陰イオン(アニオン)
原子あるいは分子が電子を受け取って負の電荷を帯びたもの
例:水酸化イオン、塩素イオン、硫酸イオン

陽イオン(カチオン)
原子あるいは分子が電子を放出して正の電荷を帯びたもの
例:水素イオン、アンモニウムイオン、全ての金属イオン

オゾン
3つの酸素原子からなる分子
それ自体はイオンではない
更新を待ってる人がいるとはなんとみんな物好きなことか
もう誰も見ないかもしれないが、もうすこし投下

饅頭を考え出したのは諸葛孔明
童謡「クラリネットをこわしちゃった」は、原語の歌詞では別にクラリネットは
壊れてはおらず、ガキが吹き方が悪いため音が出ないだけ、という話
ゴリラの学名は「ゴリラゴリラ」
ローランドゴリラの学名は「ゴリラゴリラゴリラ」
アフリカで最も人を殺している動物はライオン、などではなく、カバ
プレスリーは腰の振り方がいやらしく品位を欠くということで、TV番組で
上半身ばかりを映されたことがある(『エド・サリバン・ショー』)
丁半バクチの丁は「ちょうど割り切れる=偶数」半は「半端が出る=奇数」の意味
ピカソの本名はクソ長い(←全部書くの面倒だからググってくれ)

上の※211は俺が昔聞いたこの問題の回答なんだか、
※167がすごい面白いなwww頭いいw

あと個人的にツボった無駄知識を一つ

「爪を武器に使うのはネコ科の動物と、人間の女だけ」
人間の好きなものとかってーのは大抵中毒性のある微量の毒素が含まれてるらしいな。
空気もそんな感じなんだろうな。
酸素に毒がなかったら二酸化炭素を吸って酸素を吐き出してっていう生活してたのかもしれんな
人間は元々水中にいたために
人中(鼻の下のみぞ)は口をすぼめたときに鼻の穴がふさがるように出来ている
ってのもある。
クマバチは航空力学的に「飛んでいる」のではなく、
流体力学的に「泳いでいる」と言った方が正しい
クマバチは、空気中で泳いでいるのだ
飛行機の原理をベルヌーイの定理だけで説明しようとすると無理がある
ナビエ=ストークス方程式を解けば問題なく説明できる
有理数と無理数の区別がつかないのが多いな…。

無限に続く小数でも、分数にできたら有理数。
だから有理数である整数も、無限に続く小数で表せる、はず。
ガラスは水とおなじ構造で、結晶ではない。
目には見えない速度で流動している。

ヨーロッパの古くからある神殿とかの窓ガラスは
下の方が厚くなって上の方が薄くなっている。
>>便宜的に.以降を3桁にしてみると

これは意味ないことしてるね

有限と無限とは全く別ものだから
有限桁で打ち切ってしまったら
元の無限桁の式とは何の関連もないものになってしまう
まあゲームネタなんだが、
FF4の四天王とプラスアルファのボスの名前って、
とある悪魔の名前から取ってるんだとさ。

悪魔辞典みてたら名前載ってたから。

どーでも良い話だわな。
「説明しようとすると一つの理論(ベルヌーイの定理)だけでは
説明ができない。 」
「しかし複数の理論を組み合わせれば説明はできる。 」
ことはもう分かっています。

飛行機が飛ぶ原理は解明されているからこそ
設計図が出来、飛べるのです。

しかしとある人物が「一つの理論だけでは説明ができない。」
という部分だけを抜き出してことさらに「説明できない」
という都市伝説を捏造したわけです。

その言いだしっぺの人物とは、ケビン・クローン(本名:越智啓斗)
っていう日本人です。
(読売テレビ制作の「たかじんのそこまで言って委員会」にて
大阪で2007年3月25日放送分) 。

ここまでデマが広まって本人も満足でしょう。
宇宙空間で太陽に当たってる側は150度、当たってない側は-150度

シャトル内は太陽光が当たらないから普通に窒息死だと思う

生身で宇宙空間に出てしまった場合太陽光に当たってるか当たってないかで死に方が変わるってTVでやってた
マリオの昔の名前は救助マン

ワルイージはマリオテニス64でワリオと仲間を組むキャラクターがいなかったから急いで作った。ワルイージだけ任天堂ではない。
井伊直弼は桜田門外で殺害された後、混乱を避けるために暫く生きているように見せかけられたらしい。

首と胴体なんとか縫いつけて。
松戸市には二十世紀ヶ丘という二十世紀梨にちなんだ地名がある。

ちなみに二十世紀梨を開発したのは松戸さん(市名とは関係ないらしいが)。

光の速さで10年宇宙旅行した宇宙飛行士が地球に帰ってきた。
帰還後その人は双子の兄弟と同い年の誕生日を迎える。

タイムワープなんてしねぇよ?
↑理由忘れてた パラドクスを一つ

すっげー速く地球から離れていく宇宙船では時間の経過が地球よりも遅い。
なら宇宙船からすっげー速く離れていく地球の時間の経過も宇宙船より遅く…?

ちなみに計算上ほんとに遅くなるんだ。でもそれは等速運動のときだけで、その誤差は行き帰りの加減速でチャラ。
多分そう見えるってだけどと思う。
某教育委員会でやってたけど、真空状態だと、液体は瞬時に沸騰した後、また瞬時に凍るんじゃなかったっけ?
そう考えると、沸騰(この時点で死亡)後に急速に冷却って事になって、沸騰した形跡がないだけなんじゃね?
んで、確認する人が来たときに平温になって、凍った形跡も見つけられない、とかw

あと、オナニー後に小便しろってヤツだけどさ、どんくらいの時間が経つとヤバいのかな?
菌の繁殖は凄い早さらしいが、1日2日で発病するくらいに増えたりはしないだろうし、近寄ってきたヤツは全部小便と一緒に出ちまうんじゃね?
銃弾
初速が音速以下の銃や空砲でも音がするのはなんでだよ?

宇宙空間
人間の血管には常に圧力がかかっているから、沸騰も蒸発もしない。減圧症にはなるけど
熱を伝えるものもないから焼死も凍死もない。宇宙線は危険だけど

石鹸
ゴム手袋付けててもヌルヌルするのはなんでなんだぜ?
※269
不思議だね
正解が分からないのに否定する理由は思いつくんだね
正解が分からないのに否定の理由が100%正しいと信じて疑わないんだね
整数と自然数の濃度とか個数とかが同じっていうのが理解できない・・・
漠然と同じなんだなーとか思っても零って自然数じゃなくて整数だからどう考えても整数のほうが個数が多い気がする

わかんね
アメリカではトマトは野菜か果物か?って裁判があった。
判決は「野菜」で、理由は「デザートとして食べられないから」。

鼻血のとき、鼻の上の方を抓んで、上を向いて首の後ろを叩くのは間違い。
特に上を向くと、鼻血が喉に流れてしまう。
正しくは、小鼻辺りを抓んで、俯き加減にしておくこと。
小鼻を抓むのは、鼻の真ん中の壁の、鼻の穴から1cm位のところが出血しやすいから。

あと、ブーメランの原理は解明されていない。

「くそみそテクニックを古文っぽくしてみた」を朗読してみたに画像ry→元記事サザエさんを萌え絵にしたららきすたになるんじゃね?→元記事【VIPスレ】ハルヒにめがねかけたwwww→元記事

 

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